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藤原清衡 ふじわらのきよひら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原清衡
ふじわらのきよひら

[生]天喜4(1056)
[没]大治3(1128).7.13. 平泉
平安時代末期の陸奥の豪族。父は経清。母は安倍頼時の娘。父が前九年の役に安倍氏に従って敗死したのち,母が清原武則に再嫁したため,武則のもとで育った。武則には清衡のほか,真衡,家衡とそれぞれ母を異にする子があり,のち清原氏に内紛を生じたが,後三年の役源義家と結んだ清衡が勝利を収め,出羽,陸奥の押領使となって陸奥6郡を管領した。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐きよひら〔ふぢはら‐〕【藤原清衡】

[1056~1128]平安後期の陸奥(むつ)の豪族。後三年の役源義家と結んで清原氏を滅ぼし、陸奥六郡を領有。平泉に奥州藤原氏の基礎を築き、中尊寺を建立。清原清衡

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百科事典マイペディアの解説

藤原清衡【ふじわらのきよひら】

平安後期の陸奥(むつ)の豪族。奥州藤原氏三代の初代。父経清(つねきよ)が死んだのち,母の再嫁先の清原武則(たけのり)のもとで成長。後三年(ごさんねん)の役源義家に味方し,のち陸奥・出羽を支配。
→関連項目金沢柵清原家衡平泉[町]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原清衡 ふじわらの-きよひら

1056-1128 平安時代後期の豪族。
天喜(てんぎ)4年生まれ。前九年の役で敗死した藤原経清(つねきよ)の子。母は安倍頼時の娘。母の連れ子として清原武貞(たけさだ)にやしなわれる。一族の内紛(後三年の役)で源義家とむすび,寛治(かんじ)元年(1087)異父弟清原家衡をほろぼした。奥六郡と出羽(でわ)山北(せんぼく)郡を支配し,平泉を本拠として中尊寺を建立。奥州藤原氏の祖。大治(だいじ)3年7月16日死去。73歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのきよひら【藤原清衡】

1056‐1128(天喜4‐大治3)
奥州藤原氏代の初代。陸奥国押領使(おうりようし)。権太郎。父は藤原秀郷(ひでさと)の末裔の亘理(わたり)権大夫経清。母は安倍頼良(頼時)の娘。前九年の役で父が源頼義に殺され,母が出羽国の清原武貞に再嫁したため,清原の一族として成人した。後三年の役では異父弟の清原家衡によって館に火をかけられ,妻子を殺されるという非運にあうが,途中から源義家に属して家衡と戦い,清原氏の滅亡後は奥六郡(胆沢,江刺,和賀,稗貫,紫波,岩手の6郡)および出羽の山北(せんぼく)三郡(雄勝,平鹿,仙北の3郡)の支配権を継承して,奥羽の覇者となった。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのきよひら【藤原清衡】

1056~1128) 平安末期の陸奥むつの豪族。後三年の役で源義家に味方して異父弟清原家衡らを討ち、陸奥六郡と出羽の管領権を握り、奥州藤原氏の基を築いた。平泉に中尊寺を建立。清原清衡。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原清衡
ふじわらのきよひら
(1056―1128)

古代末期東北の武将。父経清(つねきよ)は安倍頼時(あべのよりとき)の婿として、前九年の役には安倍氏の指導者として奮戦し、敗れて殺された。清衡はこの戦乱中に生まれ、戦後、母の再嫁先たる出羽(でわ)清原武貞(たけさだ)のもとに養われた。清原氏のもとで一族の内訌(ないこう)から後三年の役が起こり、陸奥守(むつのかみ)源義家(よしいえ)がこれに介入すると、清衡は義家に降(くだ)り、清原氏と戦ってこれを滅ぼし、東北の最後の統一者となった。摂関家とも密接な関係を保ちながら、平泉(ひらいずみ)に東北全土にわたる支配を確立、1世紀にわたる平泉政権の端緒を開いた。同時に中尊寺を創建、「皆金色(かいこんじき)」の文化を興し、東北に藤原時代を代表する文化の花を開き、3代に伝えた。大治(だいじ)3年7月16日死す。[高橋富雄]
『高橋富雄著『藤原清衡』(1971・清水書院)』

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世界大百科事典内の藤原清衡の言及

【奥州藤原氏】より

…平安時代末期(11世紀末~12世紀末)の東北地方の豪族。藤原清衡,基衡,秀衡,泰衡の4代をいう。清衡,基衡,秀衡3代のミイラ化した遺体と泰衡の首が岩手県中尊寺金色堂の須弥壇の下に葬られている。…

【中尊寺】より

…寺伝によれば,850年(嘉祥3)円仁の開創で,859年(貞観1)に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126年(大治1)の金堂落慶供養願文により,前九年・後三年の役を経て奥羽地方の覇者となった清衡が,奥羽におとずれた平和を記念し,非命にたおれた敵味方の霊をとむらうための鎮魂の寺としてこれを営み,あわせて鎮護国家の根本道場にしようとしたものであったことがわかる。…

【平泉文化】より

…平泉は,その盛時には中尊寺(ちゆうそんじ),毛越寺(もうつじ),無量光院(むりようこういん)などの大寺院が甍(いらか)を並べ,日吉,白山,祇園,王子,北野天神,金峰山,今熊野,稲荷などの諸社が計画的に配置された都市であった。 中尊寺は藤原清衡(きよひら)によって1105年(長治2)に着工され,26年(大治1)3月24日に落慶供養が行われた天台系の寺院で,このときの堂宇は,供養願文によれば三間四面の檜皮葺堂1宇,三重塔3基,二階瓦葺経蔵1宇,二階鐘楼1宇というものであったが,《吾妻鏡》の文治5年(1189)9月17日条では,寺塔60余宇,禅坊300余宇といわれている。しかし奥州藤原氏の滅亡後衰亡し,現在は金色(こんじき)堂をのこすのみである。…

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