押領使
おうりょうし
平安時代に設置された令外官(りょうげのかん)。初めは兵員を統率して戦地に向かうことを職掌とし、のち実戦にあたり、また地方の治安の維持にもあたった。史料上の初見は795年(延暦14)で、9世紀後半の蝦夷(えぞ)との戦闘にも活躍している。本格的に実戦に参加したのは承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱(935~941)のときであり、下野(しもつけ)国押領使藤原秀郷(ひでさと)は乱の政府側勝利の原動力となった。このころから各国に個別に置かれ始め、常置の職として国内の治安の確保にあたった。その国の国司が兼務する場合と、土豪が任命される場合とがあったが、後者が一般的となった。また荘園(しょうえん)にも押領使が置かれ、荘園内部の検察などにあたったようである。鎌倉幕府の総追捕使(そうついぶし)(守護)は、名称のうえでは追捕使を受け継いでいるが、職掌のうえでは押領使とつながるところが多い。
[井上満郎]
『井上満郎著『平安時代軍事制度の研究』(1980・吉川弘文館)』
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おうりょう‐し アフリャウ‥【押領使】
〘名〙
① 平安初期以前、防人
(さきもり)、
兵士などを監督して所定の場所へ送る職務の者。臨時の職であった。
※三代格‐一八・延暦一四年(795)一一月二二日「如不レ願レ留。及欲レ随レ父者。差二押領使一依レ例進上」
② 平安時代、
反乱があった場合など兵士を率いて鎮圧に向かった官。令外
(りょうげ)の官。国司の掾
(じょう)が任命される場合が多かった。〔三代実録‐元慶二年(878)七月一〇日〕
③ 平安時代以降、国内の反乱鎮圧、凶賊追討のために常時置かれた官。国司が兼任することが多かったが、
郡司などの有力者を任命することもあった。〔朝野群載‐二二・天暦六年(952)一一月九日〕
④ 疱瘡(ほうそう)の腫物の異称。
※吾妻鏡‐嘉禎二年(1236)正月一七日「将軍家依二御疱瘡余気一。御股御膝腫物 号二押領使一」
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押領使
おうりょうし
平安時代,諸国の暴徒や盗賊の追捕にあたった令外官 (りようげのかん)
国司・郡司あるいは武勇にすぐれた地方豪族などが任命された。はじめ臨時に任じられたが,10世紀半ばごろからは1国ごとに常置された。
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押領使【おうりょうし】
平安時代諸国に設置された令外官(りょうげのかん)の一つ。押領は引率するの意。地方の内乱や暴徒の鎮定,盗賊の逮捕などに当たる。
→関連項目藤原秀郷
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おうりょうし【押領使】
日本古代の軍事官職の名称。押領は引率するという意味であり,押領使は兵員を引率して戦場に向かうことを職掌とした政府直属の官職である。初出は平安時代初頭の792年(延暦11)のことで,いわゆる令外官であった。平将門・藤原純友の乱のときにこれを鎮圧する官職として活躍したことが知られるが,このころより以後常置となり,しかも政府直属ではなく,地方国衙所属として文献に見えている。元来は政府直属であったものが,地方の治安の乱れにともなって国衙にもこの職が設置され,諸国の治安の維持にあたった。
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世界大百科事典内の押領使の言及
【押領】より
…《続日本紀》天平宝字3年(759)11月辛未条に,〈国別ニ二千已下ノ兵ヲ差発シ,国司精幹ノ者一人ヲ択ミ,押領セシメテ速ニ相救援セヨ〉とある。のちの押領使という官職は,この意味での押領からきている。 元来漢語の〈押〉には,〈おす〉のほか,〈とりしまる〉〈たすける〉などの意味があり,〈強いる〉という意味はほとんどなかったが,日本の古代語の〈おす〉には〈強いる〉意味があり,この言葉に〈押〉の漢字があてられたところから,日本語で用いる〈押〉には強制的なニュアンスがこめられるようになった。…
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