日本歴史地名大系 「清富陣屋跡」の解説 清富陣屋跡きよどめじんやあと 兵庫県:美方郡浜坂町清富村清富陣屋跡[現在地名]浜坂町清富 御屋敷畑清富集落の北側、観音(かんのん)山の南麓に位置する。東西約六二メートル・南北約一〇〇メートルの方形居館で、現在はわずかに石垣や池が残っているにすぎない。なお田井(たい)川と岸田(きしだ)川に挟まれるように形成される清富集落は付近の塊村とは様相を異にし、道路を碁盤目状に区画した形跡がみられることから、山下(家臣団屋敷)の町立てが行われたと考えられる。慶長一〇年(一六〇五)頃から二方(ふたかた)郡内の六千余石を所領としていた宮城豊嗣は寛永四年(一六二七)に加増され、二方郡全域と気多(けた)郡四ヵ村を合せて約一万三千石を領有することとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報