清武城跡(読み)きよたけじようあと

日本歴史地名大系 「清武城跡」の解説

清武城跡
きよたけじようあと

[現在地名]清武町加納 城内

東流する清武川北岸の丘陵南端に位置し、同川沿いは浸食崖を形成している。延文六年(一三六一)六月二九日の一色範親感状(土持文書)によると、同月二四日の「清滝城」凶徒曾井そい(現宮崎市)を攻めた際の合戦で土持八郎(時栄)ら一党の忠節が賞せられており、清滝城は当城のこととされる。おそらくは観応の擾乱の日向国への波及のなかで、足利直冬方についた畠山直顕に連なる勢力が当城に立籠っていたのであろう。貞治三年(一三六四)一〇月八日には大脇重為が「清武城」での戦功を賞されている(「一色範親感状写」大脇文書)。室町期に入ると清武は島津・伊東両氏の係争地となっており、応永四年(一三九七)島津氏は清武城を攻めたが落城せず、翌五年和議が成立している(日向記)。南九州の領主配置を記した文明六年三州処々領主記(都城島津家文書)には伊東氏支配下の城として清武城がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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