清水定舞台跡(読み)しみずじようぶたいあと

日本歴史地名大系 「清水定舞台跡」の解説

清水定舞台跡
しみずじようぶたいあと

[現在地名]富山市清水町三丁目

富山城下における芝居小屋は元禄一四年(一七〇一)大坂の出羽之丞が東田地方ひがしでんじがた村源十郎座で操芝居興行をしたのを初めとし、富山の一座は当時江戸幕府が認めた本櫓(常設の芝居小屋)一一の一つであったという(富山市史)。明和三年(一七六六)清水村での三ヵ年の軽操芝居が許可され、運上銀を出して人形芝居を興行、町役人・郡役人が立会って取締を行った(「町吟味所御触留」前田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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