出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
歌舞伎俳優。現在7世が存在する。屋号を音羽屋といい,市川家とならんで250年の歴史をもつ名門。(1)初世(1717-83・享保2-天明3) 京都の人。尾上左門の弟子で若女方の時,2世市川団十郎の《鳴神》に共演したのが出世役で,のち立役になり,広い芸幅をもった名優。《仮名手本忠臣蔵》の由良助と戸無瀬を替わったのは,この初世以来の演出。俳名を梅幸といい,のちにこれが芸名になった。(2)2世(1769-87・明和6-天明7) 初世の実子で,尾上丑之助から,1785年(天明5)菊五郎を襲名したが,若くして死んだので,舞台の上の成果はない。(3)3世(1784-1849・天明4-嘉永2) 江戸小伝馬町の建具屋の子。初世の門人で鶴屋南北の脚本で活躍した初世尾上松緑の弟子になり,一時2世松助ともいったが,1814年(文化11)3世梅幸,翌15年菊五郎を襲名した。文化・文政(1804-30)という時代を代表する名優で,写実的な芸をこしらえ,舞台の上のきめこまかい演出を整理する特色があった。また怪談狂言も得意で,《東海道四谷怪談》のお岩はその代表作。古典では《仮名手本忠臣蔵》の勘平,《義経千本桜》の権太,仁木弾正などの型を家に伝えた。美貌で,しかも実力があり,人気も抜群であった。一世一代を披露して引退。餅屋を開業したこともあったが,求められて再び役者になり,大川橋蔵(初世)という芸名で大坂に行った帰りに,掛川で客死した。江戸のいきな生世話をはじめた点でも演劇史上特記されていい。老年の俳名を梅寿という。(4)4世(1808-60・文化5-万延1) 大坂の人。中村歌六の弟子で,3世の娘と結婚。尾上栄三郎から4世梅幸となり,1855年(安政2)菊五郎を襲名するに至った。女方として,幕末の舞台で活躍。《与話情浮名横櫛(切られ与三)》のお富を初演したが,芸風としてはむしろ時代物が得意で,戸無瀬,《加賀見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)》の尾上などが当り役であった。(5)5世(1844-1903・弘化1-明治36) 3世の娘の子で,本名寺島清。市村座の座元として13世市村羽左衛門となり,市村家橘から1868年(明治1)菊五郎をついだ。幕末から明治にかけて,9世市川団十郎,初世市川左団次とともに,団・菊・左とならび称され,家の芸といわれる写実的演技,手順のきまった型の完成,形式を重んじた芸風に特色を発揮した。古典では,勘平,権八,権太,福岡貢などの代表作もあるが,河竹黙阿弥が書いた《盲長屋梅加賀鳶》の2役,《天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)》の直次郎,3世河竹新七が書いた《塩原多助一代記》《怪異談牡丹灯籠》《江戸育御祭佐七》,竹柴其水が書いた《神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)(め組の喧嘩)》の辰五郎のような,生世話,いきな江戸っ子,悪人などが得意であった。新作舞踊として《茨木》《戻橋》《土蜘(つちぐも)》なども作り,新古演劇十種を家に残した。その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885-1949・明治18-昭和24) 5世の実子。弟に6世坂東彦三郎がいる。本名寺島幸三。幼年時代に9世団十郎に愛され,しこまれた踊りが,生涯の芸の特色で,《娘道成寺》《鏡獅子》など演目の数も多いが,親ゆずりの役は時代,世話ともにすぐれていた。1903年父の死の直後,9世団十郎にすすめられて菊五郎になり,やがて市村座に移り初世中村吉右衛門と,大正の団・菊という形の共演をした。そのころから新作にも力を入れ,長谷川時雨,長田秀雄,山本有三,小山内薫,鈴木泉三郎,岡本綺堂,長谷川伸,宇野信夫という作家の作品にも傑作が少なくない。岡村柿紅の狂言舞踊も,市村座時代に初演された。30年日本俳優学校を創立,閉鎖まで3年校長をつとめた。《鏡獅子》と《勧進帳》の義経が映画になっている。座談の名手で,《芸》《おどり》などの著書と,膨大な写真帳が残された。芸術院会員。没後,文化勲章を贈られた。尾上九朗右衛門はその子である。(7)7世(1942(昭和17)- )7世梅幸の長男。本名寺島秀幸。丑之助,菊之助を経て,73年に菊五郎を襲名した。
執筆者:戸板 康二
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歌舞伎(かぶき)俳優。屋号音羽屋(おとわや)。
初世(1717―1783)京都生まれ。俳名梅幸(ばいこう)。劇場の出方(でかた)音羽屋半平の子。女方(おんながた)尾上左門の弟子になり、若衆方(わかしゅがた)、若女方(わかおんながた)で名をあげ、やがて立役(たちやく)に転じた。三都を往来して活躍、宝暦(ほうれき)~安永(あんえい)期(1751~1781)の代表的名優となった。当り役のうち『忠臣蔵』の由良之助(ゆらのすけ)は古今最高と評価され、生涯にしばしば演じた。ほかに戸無瀬(となせ)、勘平、『菅原(すがわら)』の菅丞相(かんしょうじょう)、松王丸などの当り役がある。
2世(1769―1787)初世の子。1785年(天明5)尾上丑之助(うしのすけ)から2世を襲名。美貌(びぼう)の若女方だったが、19歳で早世した。
3世(1784―1849)江戸の建具屋の子。初世の高弟尾上松助(松緑(しょうろく))の養子。栄三郎、2世松助、梅幸を経て、1815年(文化12)3世を襲名した。文化・文政期(1804~1830)の江戸劇壇で、万能の俳優として活躍した。容貌、風姿に優れ、和事(わごと)、実事(じつごと)を得意としたが、敵役(かたきやく)や女方もこなした。丸本系の時代物から4世鶴屋南北作の生世話(きぜわ)まで、芸域はきわめて広かった。養父松緑から受け継いだ怪談狂言の様式を洗練させ、大成したことは特筆すべきで、『四谷怪談』におけるお岩、小平、与茂七の3役は3世の初演した代表的な役である。1847年(弘化4)舞台を退き、浅草で餅(もち)屋を営んだが、大川橋蔵の名でふたたび地方の舞台に出た。大坂で病を得、江戸に帰る途中、遠州(静岡県)掛川で没した。
4世(1808―1860)3世の女婿。栄三郎、4世梅幸を経て1855年(安政2)4世菊五郎を襲名。女方専門で、とくに時代物の片はずしの役(政岡(まさおか)、重の井(しげのい)など)に適したが、世話物(せわもの)にも『切られ与三(よさ)』のお富のような当り役がある。
5世(1844―1903)3世の孫。本名寺嶋清。8歳で13世市村羽左衛門(うざえもん)を継ぎ、市村座の座元になった。俳優としては、14歳のときの『鼠小僧(ねずみこぞう)』の蜆売(しじみうり)三吉で4世市川小団次に認められ、19歳で初演した弁天小僧が出世芸となった。1868年(慶応4)8月、座元を弟に譲り、5世を襲名した。天性の様式美に加えて、4世小団次の写実的芸風を洗練し、いなせな江戸っ子の主人公役に独自の境地を開いた。9世市川団十郎とともに「団菊」と称され、明治の劇壇を代表する名優であった。「新古演劇十種」を制定、創演したほか、新時代に材を得た散切物(ざんぎりもの)を積極的に演じた。明治36年2月18日没。
6世(1885―1949)5世の長男。本名寺嶋幸三。1903年(明治36)2世丑之助(うしのすけ)から6世を襲名。幼時から9世市川団十郎に預けられて指導を受けた。大正期に二長町(にちょうまち)の市村座で初世中村吉右衛門(きちえもん)とともに「菊吉時代」とよぶ活気ある一時期を形成した。時代物、世話物、舞踊のいずれにも優れ、古典はむろんのこと新作にも意欲的で多くの傑作を生んだ。近代的で進取の気性に富んでいたので、古典を新解釈、新演出で演じ、また日本俳優学校を設立して校長となり、後継者の育成にも力を尽くした。1947年(昭和22)日本芸術院会員。昭和24年7月10日没。没後文化勲章を追贈された。芸談集『芸』(1946)、『おどり』(1948)がある。
7世(1942― )7世尾上梅幸の長男。本名寺嶋秀幸。1973年(昭和48)4世菊之助から7世を襲名した。花のある芸風で、女方と立役を兼ね、平成歌舞伎を代表する俳優の一人として活躍している。2000年(平成12)日本芸術院会員となり、2003年重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。長男が5世尾上菊之助(きくのすけ)(1977― )である。
[服部幸雄]
『5世尾上菊五郎著『五代尾上菊次郎』(1997・日本図書センター)』▽『戸板康二著『六代目菊五郎』(講談社文庫)』▽『大倉舜二写真『七代目菊五郎の芝居』(1989・平凡社)』
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明治〜昭和期の歌舞伎俳優
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歌舞伎俳優。江戸中期から7世を数える。屋号は音羽屋。初世(1717~83)は江戸中期立役の名優。京都生れ。尾上左門の門弟。女方から転じ,武道事・実事(じつごと)を得意とした。俳名梅幸。3世(1784~1849)は化政期の名優。江戸生れ。初世の高弟尾上松助の養子。風姿にすぐれ,舞踊以外ほぼすべての役柄に評価をうけ,生世話(きぜわ)・怪談物を得意とした。俳名梅寿。5世(1844~1903)は3世の孫。本名寺島清。9世市川団十郎・初世市川左団次とともに明治劇壇を代表する俳優で「団菊左」と並び称された。河竹黙阿弥と結んでの生世話物,御家の怪談狂言,舞踊劇などに技芸を示す。新古演劇十種を制定・創演。6世(1885~1949)は昭和前期歌舞伎の第一人者。5世の長男。東京都出身。本名寺島幸三。繊細な技芸に精神的解釈を加えて評価をうけた。芸術院会員。文化勲章受章。
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…体軀堂々たる偉丈夫という大石の人物像は,《大矢数四十七本》(1747初演)の主人公大岸宮内(大石良雄にあたる)を演じて大当りをとった初代沢村宗十郎が決定づけた。その後さらに名優たちのすぐれた点をとり入れて由良助像を完成したのが,初代尾上菊五郎であった。《古今いろは評林》では,〈家老職の体(てい)・ほど・位を考へて,菊五郎を最上ともいふなるべし〉という評価を与えられている。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。…
…だが,南北の才能も,個性の強烈な実力派の役者たちがいてこそ花開いたものである。初世尾上松助(松緑),5世松本幸四郎,5世岩井半四郎,3世坂東三津五郎,7世市川団十郎,3世尾上菊五郎らの実力と個性をよく見きわめ,彼らの芸の魅力を十分に計算した上での作劇の成功が,南北を名作者たらしめたのである。南北の作品の中で,とくに〈色悪〉〈悪婆〉という新しい人間像の典型が確立したことも忘れられない。…
…絵本番付によれば,初日は《忠臣蔵》の大序から六段目までと《四谷怪談》の序幕から三幕目隠亡堀の場まで,2日目はふたたび隠亡堀から始めて《忠臣蔵》の七,九,十段目になり,そのあとに《四谷怪談》四,五幕が続き,最後が《忠臣蔵》十一段目(討入)となっている。お岩・小平・与茂七を3世尾上菊五郎,伊右衛門を7世市川団十郎,直助を5世松本幸四郎。 (1)序幕(浅草境内の場,宅悦地獄宿の場,浅草裏田圃(たんぼ)の場) 高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫娘お梅は民谷伊右衛門に恋慕している。…
…謎染の新形浴衣(ゆかた)〉とあるように,文化年間(1804‐18)以降流行をみた。またのちにこの文様は尾上菊五郎の歌舞伎衣装にも採用された。おそらく1815年に襲名した3世菊五郎がその芸名の菊にちなみ,また当時流行していた市川団十郎の〈鎌輪奴(かまわぬ)文〉にはり合って取り入れたものと思われる。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…だが,南北の才能も,個性の強烈な実力派の役者たちがいてこそ花開いたものである。初世尾上松助(松緑),5世松本幸四郎,5世岩井半四郎,3世坂東三津五郎,7世市川団十郎,3世尾上菊五郎らの実力と個性をよく見きわめ,彼らの芸の魅力を十分に計算した上での作劇の成功が,南北を名作者たらしめたのである。南北の作品の中で,とくに〈色悪〉〈悪婆〉という新しい人間像の典型が確立したことも忘れられない。…
…近代には,〈芸談〉が読み物の一種として歓迎された。その中心は歌舞伎俳優の芸談で,9世市川団十郎の《団州百話(だんしゆうひやくわ)》(1903,松居松葉編),5世尾上菊五郎の《尾上菊五郎自伝》(1903,伊坂梅雪編)が先蹤(せんしよう)となり,以後《魁玉夜話(かいぎよくやわ)》(5世中村歌右衛門),《芸》《おどり》(6世尾上菊五郎),《梅の下風》《女形の事》(6世尾上梅幸),《松のみどり》(7世松本幸四郎),《三津五郎芸談》(7世坂東三津五郎)など,数多くのすぐれた芸談の書物が出版され,こんにちでは歌舞伎の伝承と創造にとって貴重な財産となっている。歌舞伎以外の分野では,能,狂言で《六平太芸談》(喜多六平太),《兼資芸談》(野口兼資),《万三郎芸談》(梅若万三郎),《狂言八十年》(茂山千作),《狂言の道》(野村万蔵)など,人形浄瑠璃で《吉田栄三自伝》,《文五郎自伝》(吉田文五郎),《山城少掾聞書》(豊竹山城少掾)などがそれぞれ代表的な書物である。…
…巣糸のかたまりを掌中や身の回りに隠しておいて,次々に繰り出すのが見ものであるが,劇としての内容に乏しいので,近年は上演回数が減っている。【横道 万里雄】(2)歌舞伎舞踊,長唄 1881年6月,新富座で5世尾上菊五郎が3世の33回忌に初演の《土蜘》。作詞河竹黙阿弥,作曲3世杵屋(きねや)正次郎,振付初世花柳寿輔。…
…1857年(安政4)1月江戸市村座初演。配役は鼠小僧次郎吉こと稲葉幸蔵を4世市川小団次,幸蔵養母お熊・早瀬弥十郎・次郎太夫を坂東亀蔵,与之助を河原崎権十郎(のちの9世市川団十郎),お高・松山・若草を4世尾上菊五郎,新助・伊之助を5世坂東彦三郎,与惣兵衛を2世浅尾与六,蜆売り三吉を13世市村羽左衛門(のちの5世尾上菊五郎)など。1832年(天保3)に処刑された鼠小僧の実説をふまえた2世松林(しようりん)伯円の講談をもとに脚色された。…
…明治期に入って,歌舞伎の改良運動に伴う高尚趣味によって,能,狂言様式の舞踊が作られた。まず5世尾上菊五郎が1881年,市川家の《勧進帳》をまねて《土蜘(つちぐも)》を作った。ついで82年9世市川団十郎が《釣狐》,85年に《船弁慶》を初演した。…
…作詞河竹黙阿弥,作曲2世清元梅吉(清元お葉の説もある)。1881年3月,5世尾上菊五郎,8世岩井半四郎ほかで東京新富座初演。《天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)》の6幕目〈大口屋寮の場〉の狂言浄瑠璃。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…〈天王寺〉の酒乱の段取りの面白さ,引窓から忍びこむところのユーモラスな演技,引込みのときに刀を振りまわして見せる心理描写など随所で精彩を放つ。4世友右衛門によって作られたこの小心な悪人の演出は近代に継承されたが,特に6世尾上菊五郎は,伝統の演出をさらに近代的に個性化して一代の当り芸とした。この芝居全体にただよう仇討物独特の情趣,特に〈天神の森〉の色彩的設定による〈返り討の場〉から〈川下の場〉のだんまりに至る味わいは卓越している。…
…歌舞伎役者の芸談集。6世尾上菊五郎著。1946年刊。…
…主として〈合邦庵室〉の一幕が上演され,明治の2世坂東秀調以降,玉手の役は女方にとっての試金石とされてきた。今日では,もっぱら5世中村歌右衛門と6世尾上菊五郎との二つの型が行われている。【原 道生】。…
…長唄。1933年9月6世尾上菊五郎,7世坂東三津五郎ほかにより東京劇場初演。作詞久松一声。…
…名人小団次と黙阿弥という幕末歌舞伎を代表するコンビは,この一作によって確立された。近代では6世尾上菊五郎の文弥,仁三の二役と初世中村吉右衛門の十兵衛が好評。早替りと殺し場が際立つため小芝居向きとして軽視されがちだったが,じつは義理と因果にあえぐ人物を活写した重厚な作。…
…初世は振付の才能に恵まれ,幕末から明治の劇壇で名振付師として活躍したが,9世市川団十郎と不和が生じ,劇壇から遠ざかり,1903年没した。実子の花柳芳三郎は6世尾上菊五郎の門弟として俳優修業を志したが,18年門弟たちに望まれ,2世寿輔を襲名した。2世は義兄花柳徳太郎とともに時流にのり,全国各地に流勢を拡張したが,古典の伝承だけにとらわれず,新舞踊運動の先達としても活躍,名実ともに一大流派としての基盤を固めた。…
…江戸の初春,吉原の廓の門口で,禿が羽根つきをして無邪気に遊ぶ風景を描写。1931年3月東京劇場で6世尾上菊五郎が,愛らしく見せるために大道具や振りに工夫を凝らして踊ってから,人気曲となった。【服部 幸雄】。…
…5世杵屋(きねや)巳太郎作曲。6世尾上菊五郎振付。1916年1月東京市村座で初演。…
…明治期に入って,歌舞伎の改良運動に伴う高尚趣味によって,能,狂言様式の舞踊が作られた。まず5世尾上菊五郎が1881年,市川家の《勧進帳》をまねて《土蜘(つちぐも)》を作った。ついで82年9世市川団十郎が《釣狐》,85年に《船弁慶》を初演した。…
…その芸は15世羽左衛門と,実子の6世菊五郎がついだ。写真集にみごとな容姿が残っているほか,伊坂梅雪が筆記した《尾上菊五郎自伝》という好著がある。(6)6世(1885‐1949∥明治18‐昭和24) 5世の実子。…
…歌舞伎用語。尾上菊五郎家の〈家の芸〉。市川団十郎家の〈歌舞伎十八番〉〈新歌舞伎十八番〉に対抗して,5世菊五郎が選定を企て,6世菊五郎が完成。…
※「尾上菊五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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