フォッサマグナ(読み)ふぉっさまぐな(英語表記)Fossa Magna

翻訳|Fossa Magna

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォッサマグナ」の意味・わかりやすい解説

フォッサマグナ
ふぉっさまぐな
Fossa Magna

日本列島中央部をほぼ南北に走る構造帯。ラテン語で大地溝という意。1875年(明治8)に日本政府によって招かれたドイツの地質学者E・ナウマン命名による。西縁は糸魚川(いといがわ)‐静岡構造線という断層群によって限られる。東縁は新生代第四紀火山岩類に覆われるため鮮明ではないが関東山地西縁を通ると考えられている。フォッサマグナは、周囲の主として古・中生代および新生代古第三紀の地層の構造を大きく切って形成され、そこには新第三紀以降の地層が厚く堆積(たいせき)している。とりわけ新第三紀には活発な海底火山活動があり、東北日本の日本海側から新潟地域を経て、伊豆‐小笠原弧へと接続するグリーンタフ地域の一部をなしている。

 フォッサマグナは八ヶ岳(やつがたけ)付近で北部フォッサマグナと南部フォッサマグナに大きく区分される。北部フォッサマグナにおいては、南北ないし北北東―南南西方向の断層や褶曲(しゅうきょく)が発達する。長野県犀川(さいがわ)沿いで観察される犀川破砕帯はその典型である。南部フォッサマグナにおいては、地層の変形はいっそう著しい。西から東へ衝上(しょうじょう)する曙(あけぼの)衝上断層身延(みのぶ)衝上断層などの南北性の断層、北から南へ衝上する上野原(うえのはら)衝上断層、神縄(かんなわ)衝上断層などの東西性の断層、さらにはそれらを切る横ずれ断層系や、断層に伴う褶曲構造が発達する。これらの断層や褶曲には現在も活動的なものが多数存在し、南部フォッサマグナは現在日本のなかでは、もっとも活動的な変動帯の一つとなっている。南部フォッサマグナにおける激しい変動の原因としては、伊豆‐小笠原弧をのせたフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートと伊豆半島の北端部で、約1000万年間以上にわたって衝突を繰り返しているためであるとされている。

[伊藤谷生・村田明広]

生態学的な意義

フォッサマグナは中部日本の古いフロラ(植物相)を単に北関東と南アルプス以西とに二分したというだけでなく、その後の富士火山帯の火山活動によって多数の新種の植物が形成されたという点で大きな意味をもっている。これらの火山起源による植物群をフォッサマグナ要素とよび、フロラ上重要視されている。おもな種類にはオトメアオイヒメカンアオイに近い変成種)をはじめ、タテヤマギク、イズカニコウモリ、フジアザミ、ハコネウツギ、ハコネコメツツジ、ヒトツバショウマなどがある。なお、近縁種からの形態的な変化はさまざまである。

[奥田重俊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォッサマグナ」の意味・わかりやすい解説

フォッサ・マグナ
Fossa Magna

日本列島を中部地方で南北に横切る日本の地質構造上重要な地帯。本来は大きな裂け目という意味のことばで,明治に日本の地質を調べたドイツ人エドムント・ナウマンによって命名された。西側は糸魚川-静岡構造線という逆断層で赤石山脈や日本アルプスの高い山々と境され,東側は富士山や八ヶ岳などの新しい火山に覆われるためその境をはっきりと確認しにくいが,関東山地西縁部を通ると考えられている。フォッサ・マグナ地域には,新生代新第三紀中頃の海底の火山噴出物と堆積物が厚く発達し,その両側の山地をつくっている古生代中生代の古い地層を横切って南北に分布する。この地域を境にして,基盤となっている両側の古い地層の帯状構造の方向が折れ曲がるようになり,約 90°の角度をもっている。このように日本列島を西南日本東北日本に二分しているフォッサ・マグナが形成された時期については,中生代から新第三紀の初めにかけて,まず両側の基盤に見られるような運動が起こり,次に新第三紀の中頃に海に覆われて地層がつくられるとともに,両側の境の断層ができたと考えられている。

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