日本歴史地名大系 「渋谷道玄坂町」の解説 渋谷道玄坂町しぶやどうげんざかちよう 東京都:渋谷区渋谷道玄坂町[現在地名]渋谷区道玄坂(どうげんざか)二丁目など矢倉沢(やぐらさわ)往還(大山道)の北側に沿う年貢町屋。渋谷宮益(しぶやみやます)町の西方に中渋谷村を挟んで位置する。西隣の渋谷広尾(しぶやひろお)町飛地にかけて道玄坂がある(沿革図書)。上渋谷村の石高のうちで時期は不明であるが町屋作りがなされ、正徳三年(一七一三)町奉行支配となり、以前より称していた道玄坂町を町名とした(文政町方書上)。「風土記稿」によれば元禄郷帳にみえる渋谷新町の一部と考えられる。前掲書上によると渋谷宮益町に挟まれた御嶽(みたけ)権現西側の一ヵ所と、渋谷広尾町の飛地西側の一ヵ所に分れていた。東側の町屋は南向きの片側町で、東西表田舎間三八間余・裏幅同三五間余、南北は奥行が東方一五間・西方二〇間余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報