渡里町(読み)わたりまち

日本歴史地名大系 「渡里町」の解説

渡里町
わたりまち

[現在地名]長岡市渡里町・上田うえだ町・船江ふなえ町・七間しちけん

文化二年(一八〇五)写延宝年中(一六七三―八一)の長岡町割絵図(安禅寺文書)によると、上田町の北にあり、東から中横なかよこ町の通りを真っすぐ西へうち川に至る一線。道幅五間半を隔てて南北両側に各一八軒の家並が連なる。内川の橋を渡ると大工だいく町。町名は内川に渡場があったことにちなむ。慶長一〇年(一六〇五)五月一一日の堀甲斐守安堵状(草間文書)に「五間口之屋敷、渡り町ニ被下候事」とある。元和八年(一六二二)の長岡町割に一八ヵ町の一に加えられた(温古之栞)。古くは渡り町と書いたが、「り」を変体仮名の「里」に書きなれて自然に渡里町と書くようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報