湯関村(読み)ゆのせきむら

日本歴史地名大系 「湯関村」の解説

湯関村
ゆのせきむら

[現在地名]関金町関金宿せきがねしゆく

安歩あぶ村の南に位置し、矢送やおくり川を挟んで西は金谷かなや村。備中往来の宿村。古くからの湯治場として知られ、発祥は延暦年間(七八二―八〇六)と伝える(日本鉱泉誌)。単に関とも称されたらしく、天正八年(一五八〇)吉川元春が福頼左衛門尉に与えた所領のうち「関弐百五拾石」(同年六月一二日「吉川元春書状」閥閲録)を当地にあてる説がある。

藩政期の拝領高は四四三石余、本免は五ツ五分。藪役銀七匁九分を課されており(藩史)、天保三年(一八三二)の山林六町五反余。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高四七〇石、竈数八〇余。幕末の六郡郷村生高竈付では生高五一一石余、竈数八五。寛永一四年(一六三七)駄賃宿賃書付(在方御定)によれば里程・駄賃は美作下長田しもながた(現岡山県八束村)までが三里一六町・一匁九分、倉吉までが二里八町・一匁一分で、宿賃は主人(馬とも)一〇文、下人五文であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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