日本歴史地名大系 「金谷村」の解説
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
- 千葉県:富津市
- 金谷村
延享三年(一七四六)の村明細帳(鈴木家文書、以下断りのない限り同文書)によれば田二八町一反余・畑四七町三反余、御林四・御萱立野一で、定納分に萱銭永一貫八九〇文・山役永五四〇文。
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
小高川の上流部に位置し、東は
正安二年(一三〇〇)四月二三日の関東下知状(相馬文書)に相馬胤村の後家尼の遺領として「盤崎村内釘野」がみえるが、これは前記の釘野新田付近をさすとみられ、中世における当地は
金谷村
かなやむら
- 岡山県:新見市
- 金谷村
寛永備中国絵図に金屋村とみえ、高一六九石余は山崎家治先知、二三石余は松山藩領。
金谷村
かなやむら
慶長検地高目録によると高一千一一七石余、小物成一斗二升五合。小倉組に属し、安政二年(一八五五)の御毛見町分差出帳(藤田家蔵)によれば家数九七で、地士一・庄屋一・肝煎二・本役四四・半役二一・下役二二・無役四・歩行二、人口男一九五・女一八八、牛四九。作間稼は「男ハ柴草苅、女ハもめん仕候」とある。田方五四町余、うち稲四七町余・木綿四反余。
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなだにむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなやむら
- 愛知県:豊田市
- 金谷村
挙母町の南。「信長公記」永禄四年(一五六一)の項に「是より高橋郡御働き。端々放火し推詰麦苗薙せられ、爰にても矢戦あり。加治屋村焼払ひ、野陣を懸けられ云々」とあり、信長の手により焼かれた「加治屋村」は、金谷村の前身であろう。天正二〇年(一五九二)検地奉行吉田修理亮による検地史料(明治十年公有地原由取調帳)に、
とある。
金谷村
かねやむら
金谷村
かなやむら
金谷村
かなだにむら
金谷村
かなやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報