朝日日本歴史人物事典 「源仲章」の解説
源仲章
生年:生年不詳
鎌倉前期の儒者,武士。源実朝の近臣として殺害された政治家。後白河法皇の近臣の源光遠の子に生まれ,兄弟の仲国・仲兼らと共に後鳥羽上皇の近習となったが,鎌倉幕府の在京の御家人ともなり,京を中心とした盗賊の追捕に当たった。建仁3(1203)年に源実朝が将軍になると,関東に下り将軍の侍読となったが,これは関東に学問をする人物がいなかったためで,歌人の藤原定家は仲章について,才名の誉れこそないが,百家九流に通じている,と称している。将軍の御所近くに屋敷を拝領するかたわら,しばしば上洛して後鳥羽にも仕えて,急速に昇進し,相模権守から弾正大弼,大学頭となり,将軍家の政所が拡充された建保4(1216)年には大江広元の次席で北条義時の上席の別当となり,さらに文章博士となって昇殿が許された。しかし関東と京都を結ぶその立場が疑われて,実朝の右大臣拝賀の日,実朝の甥公暁により実朝と共に殺害されている。<参考文献>五味文彦『吾妻鏡の方法』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報