コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

源仲章 みなもとの なかあきら

2件 の用語解説(源仲章の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源仲章 みなもとの-なかあきら

?-1219 平安後期-鎌倉時代の官吏。
源仲国の弟,源仲兼の兄。宇多源氏源実朝(さねとも)の侍読,幕府政所(まんどころ)別当をつとめ,後鳥羽(ごとば)上皇にもつかえて大学頭(かみ),文章博士(もんじょうはかせ)となる。建保(けんぽ)7年1月27日実朝が暗殺されたとき,前駆をつとめていたため北条義時と誤認され,公暁(くぎょう)に殺された。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

源仲章

没年:承久1.1.27(1219.2.13)
生年:生年不詳
鎌倉前期の儒者,武士。源実朝の近臣として殺害された政治家。後白河法皇の近臣の源光遠の子に生まれ,兄弟の仲国・仲兼らと共に後鳥羽上皇の近習となったが,鎌倉幕府の在京の御家人ともなり,京を中心とした盗賊の追捕に当たった。建仁3(1203)年に源実朝が将軍になると,関東に下り将軍の侍読となったが,これは関東に学問をする人物がいなかったためで,歌人の藤原定家は仲章について,才名の誉れこそないが,百家九流に通じている,と称している。将軍の御所近くに屋敷を拝領するかたわら,しばしば上洛して後鳥羽にも仕えて,急速に昇進し,相模権守から弾正大弼,大学頭となり,将軍家の政所が拡充された建保4(1216)年には大江広元の次席で北条義時の上席の別当となり,さらに文章博士となって昇殿が許された。しかし関東と京都を結ぶその立場が疑われて,実朝の右大臣拝賀の日,実朝の甥公暁により実朝と共に殺害されている。<参考文献>五味文彦『吾妻鏡の方法』

(五味文彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

源仲章の関連キーワード金槐和歌集公暁和田朝盛梶原景継願性四条隆親大弐局東重胤坊門信清源頼茂

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone