文章博士(読み)もんじょうはかせ

精選版 日本国語大辞典 「文章博士」の意味・読み・例文・類語

もんじょう‐はかせ モンジャウ‥【文章博士】

〘名〙 令制で、大学寮に属して詩文歴史とを教授した教官。天平二年(七三〇設置平安時代には多く東宮学士大外記を兼ね、侍講としても仕えた。定員は初め一名、紀伝博士が廃されてからは二名。初め正七位下相当、のち従五位下相当の官に改められた。もんぞうはかせ。
※続日本紀‐天平一三年(741)七月辛亥「従五位上紀朝臣浄人為治部大輔兼文章博士

もんぞう‐はかせ モンザウ‥【文章博士】

源氏(1001‐14頃)夕顔御文の師にてむつまじくおぼすもんさうはかせ召して」

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デジタル大辞泉 「文章博士」の意味・読み・例文・類語

もんじょう‐はかせ〔モンジヤウ‐〕【文章博士】

大学寮に属して詩文と歴史とを教授した教官。神亀5年(728)設置。平安時代には多く東宮学士大外記だいげきを兼ね、侍講としても仕えた。もんぞうはかせ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「文章博士」の意味・わかりやすい解説

文章博士
もんじょうはかせ

奈良・平安時代の大学寮紀伝道(文章道)の教官。唐名翰林(かんりん)学士。728年(神亀5)に初めて1人が置かれ、730年(天平2)正(しょう)七位下(げ)と定められた。奈良時代の文章博士には紀清人(きのきよひと)や淡海三船(おうみのみふね)などが就任していたが、平安時代に入り紀伝道が盛んになると、嵯峨(さが)天皇の821年(弘仁12)には位階相当が従(じゅ)五位下となり、教官中の最高位となった。834年(承和1)には紀伝博士(808年初置)が廃され文章博士の定員が2名となり東宮(とうぐう)学士、大外記(だいげき)を兼ねるようにもなり、そのころから菅原(すがわら)、大江両氏がその地位を世襲するようになった。『史記』『漢書(かんじょ)』『後(ご)漢書』などの三史をはじめ、『文選(もんぜん)』などの中国の詩文を教科とした。「教授」と受験・任官の推薦がおもな職掌であったが、かような職務のほかに文章をつくることが重要な仕事であり、文筆活動としての願文(がんもん)、上表、詩序の制作などに携わっている。平安中期以後しだいに衰退し、中世以後、室町時代には菅原氏系の高辻(たかつじ)以下の諸家が紀伝道の家として、この職を継いでいった。

[山中 裕]

『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店/復刻・1983・吉川弘文館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文章博士」の意味・わかりやすい解説

文章博士
もんじょうはかせ

文章道を担当した大学寮の教官。神亀5 (728) 年令外官として設置。定員1人。奈良時代末に淡海三船が大学頭兼文章博士に任じられて以来,急速に権威が高まり,弘仁 11 (820) 年には従来の正七位相当から従五位下相当の官となった。承和1 (834) 年紀伝博士の廃止により,文章博士の定員は2人となった。この頃から天皇,皇太子の侍講 (じこう) をも兼ねた。9世紀末から菅原,大江両氏の独占となり,貴族社会の衰微とともに形式化した官職となった。唐名を翰林学士という。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「文章博士」の解説

文章博士
もんじょうはかせ

大学寮の教官。728年(神亀5)に正七位下相当の直講(ちょっこう)4人の1人として創設された。創設時の官名は文章学士だった可能性がある。漢文学・中国史を教授し,文章生(もんじょうしょう)の指導にあたった。821年(弘仁12)相当位階が従五位下に引き上げられて大学寮教官中で最高位となり,この官をへて公卿に昇進する者が現れるようになった。834年(承和元)紀伝博士を廃止して文章博士の定員を2人とし,以後これが定制となる。

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世界大百科事典(旧版)内の文章博士の言及

【紀伝道】より

…しかし,一般知識社会においても,特殊な政治・道徳の理論よりも,史書・文章のほうが日常親しみやすいので,その専攻学科の設置が望まれるに至り,紀伝道が生まれることとなった。設置の最初は,奈良時代の半ばころ,728年(神亀5),文章博士(もんじようはかせ)1人が置かれ,ついで730年(天平2)に文章生20人が置かれたのに始まる。やがて平安時代に入ると,紀伝道は急激に隆盛になり,学問の代表的なものとされて,まったく貴族的なものになった。…

【博士】より

…諸博士の知識,技術はいずれも中国のものであった。その後,博士は文章(もんじよう)博士,紀伝博士(のち停止し,文章博士を加置),明経(みようぎよう)博士に分かれ,さらに律学博士(のち明法(みようぼう)博士)がおかれた。平安中期以降,明経博士は清原,中原家,文章博士は菅原,大江,日野家,明法博士は坂上,中原家,算博士は三善,小槻家が主として任ぜられ,家業となった。…

※「文章博士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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