源倫子

山川 日本史小辞典 改訂新版 「源倫子」の解説

源倫子
みなもとのりんし

964~1053.6.11

鷹司殿とも。平安中期の左大臣源雅信の女。母は藤原穆子(ぼくし)。987年(永延元)藤原道長と結婚し,翌年彰子(一条天皇中宮,後一条・後朱雀両天皇の母,上東門院)を生む。妍子(けんし)・威子・嬉子もそれぞれ三条・後一条・後朱雀の後宮に入る。男子に頼通・教通(のりみち)がいる。1008年(寛弘5)無官の女性としては異例の従一位に叙される。16年(長和5)人臣の妻としてははじめて,三后に準じて年官・年爵・封戸を与えられる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源倫子」の解説

源倫子 みなもとの-りんし

964-1053 平安時代中期,藤原道長の妻。
康保(こうほう)元年生まれ。源雅信の娘。母は藤原穆子(ぼくし)。藤原頼通(よりみち),教通(のりみち),彰子(一条天皇中宮),妍子(三条天皇中宮),威子(後一条天皇中宮),嬉子(敦良(あつなが)親王妃)を生む。従一位,准(じゅ)三宮。鷹司殿とよばれた。天喜(てんぎ)元年6月11日死去。90歳。

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世界大百科事典(旧版)内の源倫子の言及

【宇多源氏】より

…宇多天皇を祖とする賜姓源氏。一世の賜姓は藤原忠平室となった源順子など女子のみで,他は斉世,敦慶,敦固,敦実諸親王の子の賜姓である。敦実親王の系統が最も栄えた。親王の子源雅信(920‐993)は左大臣として朝廷に重きをなし,弟重信(922‐995)も左大臣に昇ったが,ともに父敦実親王の才能をうけて音楽の道に秀でていた。雅信の兄の寛朝(かんちよう),弟雅慶(がけい)はともに東寺長者,法務,大僧正となり,真言密教の重鎮として活躍した。…

※「源倫子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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