朝日日本歴史人物事典 「源潔姫」の解説
源潔姫
生年:弘仁1(810)
平安前期の皇女。嵯峨天皇と当麻氏の娘,摂政藤原良房の妻。嵯峨は弘仁5(814)年,子女8人に源姓を与え臣下とした。賜姓源氏の始まりである。このとき5歳の潔姫も,同母妹でのちの尚侍全姫と共に源姓となり,兄信 の戸に入る。14歳ごろ父の意思で6歳年上の良房と結婚,19歳で1女明子 を生んだ。潔姫の結婚は,賜姓源氏とはいえ皇女と臣下の結婚であり,それを禁じた律令の原則を大きく変えるものであった。承和9(842)年,承和の変で妹順子の子(文徳天皇)を皇太子とすることに成功した良房は,娘明子を文徳の女御とし,さらに明子の子惟仁(清和天皇)を生後8カ月で皇太子につけた。その後文徳が急死し,9歳の幼帝清和が立つと,良房は摂政として天皇に代わって政治をとった。潔姫の地位もそれにつれて上がり,仁寿3(853)年正三位となるが,孫の即位前に死去。白川神楽岡に埋葬された。のちに夫良房も同所に埋葬され,夫婦埋葬の例として注目される。潔姫は嵯峨の子女のひとりとして豊かな教養を身につけたらしく,琵琶の演奏に優れていたという。
(西野悠紀子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報