源福寺跡(読み)げんぷくじあと

日本歴史地名大系 「源福寺跡」の解説

源福寺跡
げんぷくじあと

[現在地名]海士町海士

鳥羽上皇の行在所とされた寺院跡。承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、承久三年(一二二一)七月一三日隠岐に流され、翌八月五日源福寺に到着した。「吾妻鏡」同日条は隠岐国阿摩あま苅田かつた郷に着く、仙宮は「改翠帳紅閨於柴扉桑門」と記している。当時の行在所を「増鏡」は「このおはします所は、人離れ里遠き島の中なり、海つらよりは少し引入て、山かけにかたそへて、大きやかなる巌のそはたてるをたよりにて、松の柱に葦ふける廊なと、気色はかり事そきたり」、「承久記」は「あさましけなる笘ふきの薦の天井、竹の簀子也」と伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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