海士町(読み)あま

共同通信ニュース用語解説 「海士町」の解説

海士町

隠岐諸島の一つ、中ノ島の全域を占める自治体。地方創生の先駆的な存在として知られる。過疎が進み、2000年代初頭に危機的な財政状況に陥った。02~18年に町長を4期務めた山内道雄やまうち・みちお氏は「平成の大合併」に参加せず、単独での存続を選択。町長と職員の給与をカットする一方、養殖岩ガキ、隠岐牛といった特産品をブランド化して産業振興を図った。廃校寸前だった町唯一の高校に島外から入学者を受け入れる「島留学」制度を導入し、生徒数を回復させた。

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日本歴史地名大系 「海士町」の解説

海士町
あままち

[現在地名]輪島市海士町

鳳至ふげし町の北、輪島川河口西岸の海浜に開ける。筑前鐘崎かねざき(現福岡県玄海町)の海人が中世末頃から輪島沖まで出猟していたが、近世初期又兵衛以下一二人が当地に土地を得て移住、全戸が漁労民で、春から秋にかけては留守役の村番頭一人のほかは全員が名舟なぶね村領の舳倉へぐら島・ななッ島へ渡り、鮑・わかめ・恵胡海苔などを採取したという(能登志徴)。寛永一一年(一六三四)からはそれまで名舟村が負担していた島役の半分を当町が負担した(「小物成指上帳」上梶文書)


海士町
あままち

面積:三三・四一平方キロ

島前どうぜんの東、なかノ島を町域とする。南西は知夫ちぶ村、西は西にししま町。島の北部東寄りに金光寺きんこうじ(一六四メートル)ただ(二二六・五メートル)、同西寄りに家督あとど(二四六・二メートル)があり、南部にはたか(二〇三・九メートル)などがそびえる。大きな河川はないが、定期連絡船が就航している菱浦ひしうら港・須賀すか港などや、豊田とよだ高石たけし宇受賀うつかさきの漁港など入江に恵まれている。


海士町
あままち

[現在地名]相川町海士町

町部南端に近く、海士町川の氾濫原にできた海士専業の町。北は下戸おりと町。「佐渡四民風俗」に「海士町にて頭立候者は、当時俵物用達磯西純平先祖茂左衛門・刀根仁兵衛先祖仁兵衛と申す者、御船手役加藤孫左衛門先祖和泉、慶長九辰年大坂より召し連れ来り、追々海士稼ぎ取り立て、串貝等仕立にて他国売買致し」とある。「相川砂子」(舟崎文庫蔵)によると、磯西・刀根両家ははじめ一丁目辺りに住居し、元和年間(一六一五―二四)に府外の現在地に移転したと記し、「夏より初秋迄の内は在辺へも罷り越し鮑を取り、煮貝を拵へ、他国へ頭立ち候者持参候て売り払い渡世仕り候」と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海士町」の意味・わかりやすい解説

海士〔町〕
あま

島根県隠岐諸島,島前の中ノ島を中心とする町。 1969年町制。大部分畑地で,かつては牧畑が主であった。水産養殖業,畜産が行われるが,サービス業など第3次産業への移行が目立っている。後鳥羽上皇行在所跡や火葬塚があり,明屋海岸など景勝地が多い。天然記念物クロキヅタの産地。町域の一部は大山隠岐国立公園に属する。菱浦港に本土西郷 (島後) を結ぶ定期船が立寄る。面積 33.44km2人口 2267(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「海士町」の解説

海士町

(島根県隠岐郡海士町)
日本で最も美しい村指定の地域遺産。
隠岐諸島の1つの中ノ島を「海士町」といい、面積33.51k【m2】、周囲89.1kmの小さな島。自給自足のできる半農半漁の島

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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