溝江館跡(読み)みぞえやかたあと

日本歴史地名大系 「溝江館跡」の解説

溝江館跡
みぞえやかたあと

[現在地名]金津町六日

南金津みなみかなづ西南、字夕部ゆうべにあった朝倉氏の一族溝江氏の館跡。明治九年(一八七六)の地籍図では館第地五段七畝が畑地として残り、周囲には堀跡が残り、大正三年(一九一四)の地籍図でもその西南部に東西九〇メートル、南北一〇五メートルに幅八メートルの土塁が草地や畑として残る。「越前国城蹟考」に溝江宗天入道・同大炊助長逸の館跡として「畑之内五十間四方計之所掻上堀形有之」と記される。

溝江氏は、「大乗院寺社雑事記」明応五年(一四九六)二月一七日条に「溝江郷、溝江殿朝倉党也」とある。同書文明一五年(一四八三)六月晦日条に「溝江政所景遠」、同一二月三日条に「溝江政所景栄」の名がみえ、朝倉孝景(英林)以前の朝倉氏庶流が溝江郷に土着して溝江氏を称したらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む