日本歴史地名大系 「溝江館跡」の解説
溝江館跡
みぞえやかたあと
[現在地名]金津町六日
溝江氏は、「大乗院寺社雑事記」明応五年(一四九六)二月一七日条に「溝江郷、溝江殿朝倉党也」とある。同書文明一五年(一四八三)六月晦日条に「溝江政所景遠」、同一二月三日条に「溝江政所景栄」の名がみえ、朝倉孝景(英林)以前の朝倉氏庶流が溝江郷に土着して溝江氏を称したらしい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
溝江氏は、「大乗院寺社雑事記」明応五年(一四九六)二月一七日条に「溝江郷、溝江殿朝倉党也」とある。同書文明一五年(一四八三)六月晦日条に「溝江政所景遠」、同一二月三日条に「溝江政所景栄」の名がみえ、朝倉孝景(英林)以前の朝倉氏庶流が溝江郷に土着して溝江氏を称したらしい。
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