日本歴史地名大系 「溝谷村」の解説 溝谷村みぞたにむら 京都府:竹野郡弥栄町溝谷村[現在地名]弥栄町字溝谷溝谷川が竹野川に合流する平野部に位置し、間人(たいざ)街道と網野(あみの)―宮津街道の交差する交通の要所でもある。東方に山を負い、西方は竹野川沿いに田が開ける。慶長検地郷村帳に高一二五〇・五三石「溝谷村」とあり、延宝九年(一六八一)の検地により九七九石余と減少(天和元年宮津領村高帳)。天正一〇年(一五八二)頃一時峯山藩領となったが、以後は宮津藩領。文政五年(一八二二)一二月、宮津藩の悪政に対する百姓強訴の際、溝谷村の大庄屋も打毀を受けた(宮津騒動夢物語)。小字立山(たてやま)に溝谷城跡があり三層よりなっていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報