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宮津藩 みやづはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮津藩
みやづはん

江戸時代,丹後国 (京都府) 宮津地方を領有した藩。長岡 (細川) 忠興 17万石に始り,関ヶ原の戦い後,京極氏 12万 3200石,永井氏7万 3600石,阿部氏9万 9000石,奥平氏9万石,青山氏4万 8000石を経て,宝暦8 (1758) 年以降松平 (本庄) 氏7万石で廃藩置県にいたった。

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百科事典マイペディアの解説

宮津藩【みやづはん】

宮津

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

みやづはん【宮津藩】

江戸時代丹後(たんご)国与謝郡宮津(現、京都府宮津市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は礼譲館(のち文武館)。1600年(慶長(けいちょう)5)の関ヶ原の戦い後に細川忠興(ただおき)が九州へ移され、代わって信濃(しなの)国飯田城から京極高知(きょうごくたかとも)が12万3000石で入り、丹後1国を領した。1622年(元和(げんな)8)の高知没後に所領は三分され、次男高三(たかみつ)に田辺藩3万5000石、養子高通(たかみち)に峰山藩1万石、嫡男(ちゃくなん)高広(たかひろ)には宮津藩7万8200石が分知された。高広は宮津城を大規模に改修。しかし、その子高国(たかくに)は悪政を理由に66年(寛文(かんぶん)6)改易(かいえき)された。以後、永井氏2代、阿部氏1代、奥平(おくだいら)氏1代、青山氏2代と譜代が頻繁に交替した。1758年(宝暦8)に松平(本庄(ほんじょう))資昌(すけまさ)が7万石で入って以後は定着、明治維新まで松平氏7代が続いた。松平氏の歴代藩主の多くは、寺社奉行老中など幕府要職についている。1871年(明治4)の廃藩置県で宮津県となり、その後、豊岡(とよおか)県を経て76年京都府に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

みやづはん【宮津藩】

丹後国(京都府)与謝郡宮津に藩庁を置いた譜代中藩。1622年(元和8)京極高知の遺領12万3200石は宮津,田辺,峰山に分領され,長男高広が7万8200石を領して宮津に築城した。その子高国のとき悪政を理由に除封され,69年(寛文9)永井尚征(なおゆき)が山城国淀より7万3600石で入封。これより譜代藩となり,町屋分の地子米を一部徴収した。80年(延宝8)尚長が鳥羽藩主内藤忠勝に殺害されて改易となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮津藩
みやづはん

丹後(たんご)国宮津(京都府宮津市)周辺を領有した藩。1601年(慶長6)信濃(しなの)(長野県)飯田(いいだ)城主京極高知(きょうごくたかとも)が丹後12万3200石に転封となり、細川氏の旧城田辺に入った。1622年(元和8)高知の没後その遺命により、所領は三分され、次男高三(たかみつ)に田辺3万5000石、養子高通(たかみち)に峰山(みねやま)1万石、長男高広には宮津7万8200石を分知した。高広は宮津に築城し、1625年(寛永2)ここに移ったが、その子高国は親子不和、治政の非をとがめられて66年(寛文6)除封された。そのあと藩主の交代激しく、1669年永井尚征(なおゆき)、81年(天和1)阿部正邦(まさくに)、97年(元禄10)奥平昌成(まさしげ)、1717年(享保2)青山幸秀(よしひで)、58年(宝暦8)本庄(ほんじょう)(松平)資昌(すけまさ)が入封。その本庄氏7代宗武で廃藩置県となった。本庄氏のうち幕府の要職についたのは、3代資承(すけつぐ)が寺社奉行(ぶぎょう)、大坂城代、京都所司代、老中、宗発(むねあきら)は寺社奉行、京都所司代、老中、宗秀は寺社奉行、京都所司代、老中を務め、宗発は1818年(文政1)藩校文武館(のち礼譲館)を開いた。1871年(明治4)廃藩置県となり、宮津県、豊岡(とよおか)県を経て京都府に編入。[井上正一]

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世界大百科事典内の宮津藩の言及

【丹後国】より

…22年(元和8)高知の死後,丹後は宮津(7万8175石,長子高広),田辺(3万5000石,次子高三),峰山(1万石,養子高通)と3藩に分けられた。年貢高については,宮津藩は延宝年間(1673‐81)に平均3割高の延高をしたが,田辺・峰山藩は近世を通じて大きな石高の変動はなかった。宮津藩領は京極氏以降,天領―永井氏―天領―阿部氏―奥平氏―青山氏と支配が変遷したが,1759年(宝暦9)遠江の浜松より本庄氏が入部し,以来7代相ついで廃藩となった。…

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