滋賀院(読み)しがいん

日本歴史地名大系 「滋賀院」の解説

滋賀院
しがいん

[現在地名]大津市坂本四丁目

坂本さかもとの里坊にある天台宗延暦寺の本坊。天台宗門跡の一つで、初代は天海比叡山と号し、本尊は薬師如来像。輪王寺門跡の比叡山での里坊でもあったため滋賀御殿とも称された。元和元年(一六一五)天海が後陽成天皇から、もと慈円の別坊であった京都法勝ほつしよう(六勝寺の一つ法勝寺の寺跡を継ぐもの)を移築したのに始まるとされる。「滋賀院門跡世譜」は当地がもともと慈円の別坊であったとする。また寺基を移したのは寛永一二年(一六三五)ともいう。明暦元年(一六五五)後水尾天皇の第三皇子輪王寺宮尊敬親王(のち守澄)が天台座主に就任し、当院に居住するようになった際、同天皇から院号を下され、寺観の整備も進んだようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の滋賀院の言及

【延暦寺】より

…仏像・法具・聖教・文書の多くも信長の兵火に失われたが,後述のようになお多くの文化財を残し,横川の霊宝館と坂本の叡山文庫に収蔵する。古来,山僧の多くは山上に住まず,東西坂本および洛中に里坊(さとぼう)を有したが,今では主として東坂本(大津市坂本)に集住し,ここには最澄生誕地と伝える生源寺,座主の住坊である滋賀院門跡をはじめ多くの住院がある。
[法会]
 《三宝絵詞》(984年源為憲撰)には,叡山で行われる毎年の法会として,1,4,7,10月に各21日間ずつ行う懺法(せんぼう)(812年最澄始修),3月と9月の15日に行う勧学会(964年始修,山僧20人と大学寮学生20人が坂本の寺に会し,朝は法華経を講じ,夕は念仏を行い,終夜,讃仏の詩文を作る),4月の花の盛りに行う舎利会(860年円仁始修),4月15日以前に行う授戒会(823年始),6月4日,最澄の忌日に行う六月会(みなづきえ),8月11日から17日まで行う不断念仏(865年円仁始修),9月15日に行う灌頂(843年円仁始修),11月24日の天台大師忌に行う霜月会(798年最澄始修)を掲げる。…

※「滋賀院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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