滋野井公澄(読み)しげのい・きんずみ

朝日日本歴史人物事典 「滋野井公澄」の解説

滋野井公澄

没年:宝暦6.7.25(1756.8.20)
生年:寛文10.11.21(1671.1.2)
江戸中期の公家。高倉永敦の子で滋野井実光の養子となる。初め兼成。享保5(1720)年6月2日権大納言に任じられ,同8年辞す。翌9年正二位に叙せられる。この間,宝永6(1709)年より享保9年まで霊元上皇に院評定衆として仕えた。同16年出家。法名良覚。元禄3(1690)年より享保6年に至る自筆の日記『公澄卿記』26冊があるほか,有職故実に詳しく,『羽林類葉抄』『松蔭拾葉』『簾中装束抄』などを書き残している。孫の公麗も公澄を師として有職故実に関する多くの著作を残している。

(藤田恒春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滋野井公澄」の解説

滋野井公澄 しげのい-きんずみ

1671*-1756 江戸時代中期の公卿(くぎょう),有職(ゆうそく)家。
寛文10年11月21日生まれ。高倉永敦の子。滋野井実光の養子。宝永元年参議,享保(きょうほう)5年(1720)権(ごんの)大納言となり,のち正二位にすすむ。霊元上皇に院評定衆としてつかえる。野宮(ののみや)定基らとともに有職四天王とよばれた。宝暦6年7月25日死去。87歳。初名は兼成。号は五松軒。著作に「羽林類葉抄」「管見野水抄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「滋野井公澄」の解説

滋野井公澄 (しげのいきんずみ)

生年月日:1670年11月21日
江戸時代中期の公家
1756年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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