朝日日本歴史人物事典 「滋野井公澄」の解説
滋野井公澄
生年:寛文10.11.21(1671.1.2)
江戸中期の公家。高倉永敦の子で滋野井実光の養子となる。初め兼成。享保5(1720)年6月2日権大納言に任じられ,同8年辞す。翌9年正二位に叙せられる。この間,宝永6(1709)年より享保9年まで霊元上皇に院評定衆として仕えた。同16年出家。法名良覚。元禄3(1690)年より享保6年に至る自筆の日記『公澄卿記』26冊があるほか,有職故実に詳しく,『羽林類葉抄』『松蔭拾葉』『簾中装束抄』などを書き残している。孫の公麗も公澄を師として有職故実に関する多くの著作を残している。
(藤田恒春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報