滋野井公澄(読み)しげのい きんずみ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滋野井公澄」の解説

滋野井公澄 しげのい-きんずみ

1671*-1756 江戸時代中期の公卿(くぎょう),有職(ゆうそく)家。
寛文10年11月21日生まれ。高倉永敦の子。滋野井実光の養子。宝永元年参議,享保(きょうほう)5年(1720)権(ごんの)大納言となり,のち正二位にすすむ。霊元上皇に院評定衆としてつかえる。野宮(ののみや)定基らとともに有職四天王とよばれた。宝暦6年7月25日死去。87歳。初名は兼成。号は五松軒。著作に「羽林類葉抄」「管見野水抄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「滋野井公澄」の解説

滋野井公澄 (しげのいきんずみ)

生年月日:1670年11月21日
江戸時代中期の公家
1756年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む