出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
能の曲目。三番目・鬘(かずら)物。五流現行曲。晩秋の嵯峨野(さがの)を訪れた諸国一見の僧(ワキ)は、野宮の旧跡に『源氏物語』の世界を懐かしむ。何百年もの昔の長月(ながつき)七日、伊勢(いせ)神宮に仕える神女に選ばれた娘とともにこの神域にこもる六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)を光源氏(ひかるげんじ)が訪ねていった、その日にあたっていた。生来の強い自我ゆえに光源氏との愛を全うすることのできなかった六条御息所も、あの世で女らしさを取り戻し、この思い出の地に、思い出の日になると毎年やってくる。里女姿のその亡霊(前シテ)は僧に光源氏との恋の経過を語り、身の上を明かして消える。僧の弔いに、ありし日の貴婦人の装いでふたたび現れた六条御息所(後(のち)シテ)は、源氏の正妻の葵上(あおいのうえ)から受けた加茂(かも)の祭の車争いの屈辱を訴えるが、やがて輪廻(りんね)の苦しみを救ってほしいと僧に願う。月の下に美しい思い出の舞が舞われ、かつての愛の日がその心によみがえるが、生死の境にさまよう身を恥じて、彼女の姿はその傷心の象徴である牛車(ぎっしゃ)に乗って消えていく。死の濾過(ろか)によって純粋な女心を取り戻した六条と、それを妄執と冷たく見据えている六条の理性の両面がみごとに描かれ、まろやかな幼なじみの恋の名作『井筒(いづつ)』と並ぶ、恋の幽玄能の最高傑作である。古来世阿弥(ぜあみ)作の説があるが、確証がない。
[増田正造]
伊勢(いせ)の神宮に派遣される斎王(さいおう)の潔斎(けっさい)のための場の一つ。伊勢の神宮には、その鎮座以降後醍醐(ごだいご)天皇のときまで、歴代皇女また女王のなかより斎王が選ばれ派遣されてきたが、『延喜式(えんぎしき)』によると、その斎王卜定(ぼくじょう)ののち、宮城内の適当の箇所を占って初(しょ)斎院とし、そこで半年から一年潔斎、あと宮城外の野宮に入り、一年潔斎して伊勢に行くこととなっていた。その場はおよそ京都瑳峨野(さがの)があてられていた。この起源は明らかでないが、『日本書紀』天武(てんむ)天皇2年4月の条に、大来皇女(おおきひめみこ)を泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)にいらせられたとあるのが初見である。
[鎌田純一]
能の曲名。三番目物。鬘物(かつらもの)。作者は不明。シテは六条御息所(ろくじようのみやすどころ)の霊。旅の僧(ワキ)が京都嵯峨野の野宮の旧跡を訪れると,若い女(前ジテ)が来かかり,この野宮は,昔,六条御息所が伊勢の斎宮(さいぐう)となった息女とともに籠った所だと話して聞かせる。御息所は,皇太子妃としてときめいた女性だったが,夫に死別し,その後に愛を得た光源氏からも見捨てられて,昔に変わる寂しい身の上となり,涙ながらに伊勢へ赴いたのだという(〈クセ〉)。そう物語った女は,実は自分がその御息所なのだと名のって消え失せる。夜になると,御息所の霊(後ジテ)が昔の姿で現れ,賀茂の祭り見物のおりに,車を据える場所を光源氏の正妻の葵上(あおいのうえ)と争って恥辱を受けた思い出などを物語り,懐旧の思いにひたりながら舞を舞う(〈序ノ舞・ノリ地〉)。幽玄でしっとりとした趣のなかに,御息所の屈折した心情がよく描かれている名品である。
執筆者:横道 万里雄
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…卜定によって斎院となった女性は宮城内に設けられた初斎院での3年間の潔斎を経て斎院(場所としての)に移る。その場所は一条大路の北方,紫野に所在したため紫野斎院とか略して紫野院と呼ばれ,単に野宮(ののみや)とも称した。今日の京都市上京区の七野(ななの)神社がその跡という。…
…その起源は記紀の伝承に始まるが,制度的な確立は7世紀後半の天武朝のころとされる。斎王は未婚の内親王,あるいは女王のなかから占で定められ,平安朝では雅楽寮,宮内省,主殿寮など宮内の便宜的な場所を初斎院として沐浴斎戒に入り,翌年8月には宮外に新造された野宮(ののみや)に移り,潔斎を重ねる。野宮は洛西に置かれたようで,《源氏物語》賢木巻の舞台ともなる。…
※「野宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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