滝之城跡
たきのしろあと
肱川の北岸、標高一四五メートルの屹立した断崖上にある要害の城跡。米津城ともいう。本丸は底辺四〇メートルの三角形、二の丸は二〇メートル×五〇メートル、三の丸は三五メートル×二〇メートルの規模をもつ。大津(大洲)城の正面、肱川河谷ルートの隘路を扼し、成野・石堂・滝山(戒ノ川)・笹尾(手成)・三好(米津)の諸城とともに大津城防衛の役割をもっていた。
南北朝期、宇都宮貞泰の部将津々喜谷(津々木谷・続谷とも)行胤が初代城主となった。以後その子孫が代々城主となったが、天正七年(一五七九)郡内へ進攻してきた土佐長宗我部勢によって落城した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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