漢那市(読み)かんなし

日本歴史地名大系 「漢那市」の解説

漢那市
かんなし

一九四五年(昭和二〇年)から四六年に米軍政府が制定した沖縄島北部の住民収容地区名。当時、金武きん村に含まれていた現在の字漢那かんなの本集落城原ぐすくばる集落、および字金武の中川きんのなかがわ集落にあたる。四五年三月下旬、前記三集落の住民は沖縄戦開始に伴い山中へ避難したが、同年六月に始まった米軍の山中掃討に伴い下山を開始、同月七日漢那へ下山した。山中への避難時には四千名から五千名であった人口は、同年六月頃から沖縄島中南部からの避難民の流入で急増した。同年九月に地方行政緊急措置要綱に基づき市制を施行、漢那市が成立した。市会議員と市長の選挙が行われ、市長に新垣實が就任、市議会議員二〇名が選出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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