宜野座村(読み)ぎのざそん

日本歴史地名大系 「宜野座村」の解説

宜野座村
ぎのざそん

面積:三一・二八平方キロ

沖縄島東海岸のほぼ中央に立地し、那覇空港から約五五キロの距離にあり、沖縄自動車道を走って九〇分で到着する。北は名護市、北西は恩納おんな村、西は金武きん町に接し、南と東は太平洋に臨む。名護市との境に古知屋こちや(二八四・二メートル)・ガラマン岳(二五三・八メートル)、恩納村との境に漢那かんな(二三三・三メートル)がそびえ、これらの山々は冬の北風を防いでいる。山間部は米軍基地キャンプ・ハンセンの軍用地となっており、村面積の約五〇パーセントを占める。近世には金武ちん間切に所属し、当村域の宜野座ぎぬざ村・惣慶すーき村・漢那かんな村・古知屋くちや村は上之四島いいぬゆしま(上ヌ四島、イーヌユシマともよぶ)と称されていた。これらの集落はグスク時代にはすでに誕生していたと思われ、御嶽周辺や旧家一帯からグスク土器や類須恵器、中国や東南アジア製の貿易陶磁器類が採集され、山間部を流れる谷間沿いでは一五世紀には水田稲作が行われていた。


宜野座村
ぎぬざむら

[現在地名]宜野座村宜野座ぎのざ

石灰岩丘陵台地の島尻マージに立地する。東の古知屋くちや村との境を宜野座福地ぎのざふくじ川が流れ、太平洋に注ぐ。正保国絵図に「ぎのさ崎」が記される。絵図郷村帳に金武ちん間切「ぎのざ村」とみえる。琉球国高究帳にも同じにみえ、高頭一三九石余、うち田七二石余・畠六六石余。畠が多いのは島尻マージ地帯の面積が広いことによると考えられる。「琉球国由来記」に宜野座村と記され、当村のヨリフサノ嶽(神名コバヅカサワライヂヤウノ御イベ)宜野座ぎぬざ巫火神は宜野座ノロが祭祀をつかさどっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宜野座村」の意味・わかりやすい解説

宜野座〔村〕
ぎのざ

沖縄県沖縄島中部の東海岸にある村。1946年金武村の一部が分立して村制。村名は中心地区名による。村域の大部分石灰岩台地で,おもな集落は海岸を通る幹線道路沿いにある漢那,宜野座,松田など。養豚,養鶏が行なわれ,西部の山地のふもとではパイナップルサトウキビ,野菜を栽培する。また,沖縄最初の茶づくりの地で,いまもチャ(茶)が栽培される。山麓の谷には灌漑用のダムがある。南西部にはアメリカ軍海兵隊の演習地があり,村域の 50%以上を占める。第2次世界大戦後には一時 10万をこす避難民が集まったが,帰還許可とともに人口は激減した。戦前から海外移住者が多い。沖縄自動車道,国道329号線が通る。面積 31.30km2。人口 5833(2020)。

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