瀬ヶ崎村(読み)せがさきむら

日本歴史地名大系 「瀬ヶ崎村」の解説

瀬ヶ崎村
せがさきむら

[現在地名]浦和市瀬ヶ崎一―五丁目・駒場こまば二丁目・道祖土さいど一丁目

駒場村の北に位置し、洪積台地沖積低地からなる。田園簿に記載がなく、元禄年中改定図(風土記稿)に瀬ヶ崎村とみえる。元禄郷帳では高二〇二石余。一村として成立する以前は木崎きざき村のうちと思われる。江戸時代を通じて幕府領であったと考えられる(「風土記稿」・改革組合取調書など)木崎領に属し、化政期の家数三〇(風土記稿)。嘉永三年(一八五〇)の村明細帳(武笠家文書)によると、元禄三年(一六九〇)検地が行われ、高二〇二石余・反別三〇町三反余。延享四年(一七四七)には新田検地が行われ、一石余が高入れされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む