瀬村(読み)えびらせむら

日本歴史地名大系 「瀬村」の解説

瀬村
えびらせむら

[現在地名]芦北町箙瀬

球磨川左岸の段々状の河岸にあり、上流白石しらいし村。浅野家代々覚書(浅野文書)によれば、中世相良氏領時代には、大尼田おおにたの浅野(鬼塚)氏が加増により得た知行地だったという。寛永一六年(一六三九)の葦北郡地侍御知行割帳(徳富文書)に村名がある。田浦手永に属し、「国誌」に高一七石一斗余、高札二枚立の所であったとある。また陸口番所が置かれ、文政二年(一八一九)の葦北郡海陸持口御手当帳(芦北町誌)に「箙瀬口、一領一匹鬼塚武左衛門相続之養子大川内村鬼塚武作、御郡筒箙瀬村瀬崎段四郎、吉尾村吉尾惣次兵衛、医師御直触西民益悴西英仲、夫弐拾人箙瀬村」とその配置が記される。


瀬村
ちくせむら

[現在地名]下館市筑瀬

東ははやし村、南は石塔いしとう村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏領となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に村高一四二・四五六石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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