瀬沼 夏葉
セヌマ カヨウ
明治・大正期の翻訳家
- 生年
- 明治8年12月11日(1875年)
- 没年
- 大正4(1915)年2月28日
- 出生地
- 群馬県高崎
- 本名
- 瀬沼 郁子
- 旧姓(旧名)
- 山田
- 学歴〔年〕
- ニコライ女子神学校〔明治25年〕卒
- 経歴
- ニコライ女子神学校卒業後、教師として同校に残る。25年創刊の婦人矯風誌「裏錦」の執筆陣に参加。この頃からロシア文学に魅せられ、のち夫となる瀬沼恪三郎よりロシア語を修得する。31年結婚。34年尾崎紅葉門下生となり、紅葉に文章指導を受け、ツルゲーネフの小品、トルストイの「アンナカレニナ」を翻訳発表。36年チェーホフのわが国への最初の紹介となった「月と人」「写真帖」を紅葉との共訳で発表するなど、ロシア語からの直訳でロシア文学を発表し、特にチェーホフの紹介に尽くした。「露国文豪チェーホフ傑作集」(訳書)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
瀬沼夏葉
没年:大正4.2.28(1915)
生年:明治8.12.11(1875)
明治大正時代の翻訳家。群馬県生まれ。父は山田勘次郎,母はよか。本名は郁子。実家が高崎正教会の信者の草分けで,ニコライ女子神学校を修了。このころ教会の婦人矯風誌『裏錦』(1892~1907)に多数寄稿。婦徳の養成を唱道するが,その一方で「女子は卑しきために男子に従ふにあらず」と男女の優劣なきことを主張。ロシア文学に感動し,のち夫である瀬沼恪三郎よりロシア語を習得する。また尾崎紅葉の弟子となり,夏葉の号で師との共訳でチェーホフの作品を紹介。日本初のロシア語からの直接訳でチェーホフを正確に翻訳した先駆者としての意義は大きい。晩年『青鞜』の賛助員として婦徳の呪縛から自己を解放せんと果敢に生きるが早世した。訳書に『チエホフ傑作集』(1908)などがある。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
瀬沼夏葉 せぬま-かよう
1875-1915 明治-大正時代の翻訳家。
明治8年12月11日生まれ。瀬沼恪三郎(かくさぶろう)の妻。10歳でロシア正教会のニコライ女子神学校にはいり,ロシア語をまなび,尾崎紅葉に文章指導をうける。チェーホフの作品をロシア語から直接翻訳,明治41年「露国文豪チエホフ傑作集」を出版した。大正4年2月28日死去。41歳。群馬県出身。旧姓は山田。本名は郁子(いくこ)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
瀬沼 夏葉 (せぬま かよう)
生年月日:1875年12月11日
明治時代;大正時代の翻訳家
1915年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 