ロシア正教会(読み)ろしあせいきょうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア正教会」の意味・わかりやすい解説

ロシア正教会
ろしあせいきょうかい

キリスト教の一派で、東方正教会中核をなす教会。ロシアにビザンティンから正教が入った当初のキエフ・ロシア時代、ロシア正教会はコンスタンティノープル総主教の管下にあったが、実際の信仰修道院で行われ、主の祈りに基づく独自な「卑下(ケノーシスkenosis)の精神」(十字架にかけられ辱められたイエスを偲(しの)ぶ心)が育成された。続くタタール人支配時代も修道信仰は森の中で保存された。16世紀、モスクワ・ロシア時代、ロシア正教会は、ビザンティン教会がイスラムの支配下になったため、かわって正教の中心となり、総主教制が敷かれ、モスクワは第三のローマと号した。だが同教会は信仰の聖地であるよりも、祭祀(さいし)主義的、権威主義的場と化し、民衆の間に迷信が盛んとなり、一方、反権威的な教会分裂(ラスコール)や狂信的セクトが生じた。18世紀ピョートル大帝により官許正教会は弱められ、以後形骸(けいがい)化した。さらにロシア革命後は反宗教のソビエト政権により、十余年にわたって迫害され(1930年がピーク)、その後も、教会は宗教的行動を制限され、布教、宗教教育、慈善事業などは許されず、個人の祈りに限定されて認められていた。だが、革命後70年の1988年、ロシア正教伝来1000年を記念して国をあげて祝祭が行われた。ゴルバチョフ初代大統領が就任した1990年の10月に新宗教法が成立し、信教の自由が大幅に認められるようになった。ロシア初代大統領エリツィンも就任に際し、宗教の重要性について演説した。こうしてクレムリンペレストロイカ(改革)には国益や階級益を超えた全人類益を目ざすイエス自身の信仰に基づく宗教が必要であるとし、ロシアに正教が復興した。ロシアにおける正教の復興こそ、東西冷戦終結、旧ソ連の終焉(しゅうえん)、新生ロシアの誕生、ロシアにおける共産主義消滅など画期的出来事の要因であるといえよう。

[田口貞夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロシア正教会」の意味・わかりやすい解説

ロシア正教会
ロシアせいきょうかい

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