ロシア語(読み)ろしあご(英語表記)Русский язык/Russkiy yazïk ロシア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア語」の意味・わかりやすい解説

ロシア語
ろしあご
Русский язык/Russkiy yazïk ロシア語
Russian 英語

インド・ヨーロッパ語族中のスラブ語派に属し、ウクライナ語、白(はく)ロシア(ベロルシア)語とともに東スラブ語群を形成する。スラブ語派中最大の勢力を有し、ロシア連邦内のロシア共和国の国語であるばかりでなく、ロシア連邦の公用言語でもある。

[栗原成郎]

ロシア語人口と地域

1979年の人口調査によれば、旧ソ連においてロシア語を母語とする言語人口は1億5350万であり、ロシア人の民族人口1億3700万をはるかに上回っていた。このほかにロシア語を第二母語とする二言語併用者が6130万、合計2億1480万人がロシア語を用いていた。この数字はソ連総人口の82%に相当した。1970年の人口調査によれば、ロシア語を母語ないし第二母語とする言語人口は1億8380万で、ソ連総人口の76%であったから、ロシア語人口は9年間に6%の伸び率を示したことになる。

 1989年の人口調査によれば、ロシア語を母語とする人はロシア連邦において1億4370万、このほかに旧ソ連を構成していた国々において約8800万あり、あわせて2億3170万である。ロシア語人口の大部分はロシア共和国に集中しており、国内でロシア語を母語とする人は1億2730万であり、そのうちロシア人は1億1980万で、750万は非ロシア人である。ロシア人は、アメリカ合衆国に100万以上、カナダと西ヨーロッパに200万以上、さらにそのほかの国々に約140万、居住している。ロシア語は世界的な言語であり、程度の差は度外視して、ロシア語を使用できる人の数は世界中で5億に達する、と推定されている。

[栗原成郎]

ロシア語の歴史

ロシア語の淵源(えんげん)は遠く古代にさかのぼる。スラブ祖語は、紀元前2000年ごろからインド・ヨーロッパ語族の親族方言群から漸次分離し始めて、後の発達段階として、およそ1世紀から7世紀にかけてスラブ共通基語を形成した。共通基語時代のスラブ人がどこに住んでいたかは論争の多い問題であるが、紀元前1世紀の後半から紀元1世紀の初めにかけて、東はドニエプル川中流域から、西はビスワ川上流域、北はプリピャチ川以南、南はステップと森林帯の中間地帯に至る領域を居住地として占めていたものと考えられる。1世紀後半になると、スラブ人の居住領域は著しく拡張された。2世紀から4世紀にかけてスラブ人の居住地は南下してきたゲルマン人(ゴート人)によって荒らされ、おそらくそれが原因となって、スラブ人は東スラブ人と西スラブ人とに分裂し、孤立化した。

 5世紀末にはフンの国家の崩壊後、スラブ人の南方進出が始まり、7世紀までにバルカン侵入を果たした。このようにして、6、7世紀には、スラブ人は、南西はアドリア海沿岸まで、北東はドニエプル川上流域およびイリメニ湖まで領土を拡張し、それに伴い、スラブ人の種族的・言語的統一は崩壊し、東スラブ人、西スラブ人、南スラブ人の三つの近親的民族群が形成された。東スラブ人の言語は7世紀から14世紀まで単一的なものとして存続した。それは「古代ロシア語」древнерусский язык/drevnerusskiy yazïk とよばれ、共通基語的な古期東スラブ語である。その主要な東スラブ語的特徴は次のごとくである。

(1)充音現象(スラブ共通基語の*or, *ol, *er, *elの流音r, lを同じ母音で挟み、оро,оло,ере,елеとする現象)。

(2)共通基語の*dj, *tj, *ktをж,чで継承した。

(3)共通基語の鼻母音*,*ęがу,яに変化した。

(4)動詞の現在時称(未来時称)の三人称の語尾が-тьであること。

 10世紀末に古代ロシア(キエフ・ルーシまたはキエフ・ロシア、キーウ・ルーシ。ルーシはロシアの古名)はブルガリアよりキリル文字古代教会スラブ語を摂取して文書活動をおこし、11世紀には『オストロミール福音(ふくいん)書』(1056~1057)にみられるように成熟した文語をもつに至った。キエフ府主教イラリオーンの説教『律法と恩寵(おんちょう)について』(11世紀)、『過ぎし歳月の物語』(12世紀)、『イーゴリ遠征物語』(12世紀)などの芸術性の高い作品は、この古代ロシア文語で書かれている。

 一方、記述文学成立以前の口承文芸の口語は古くから重要な役割を果たし、フォークロア的モチーフをあわせもつ『過ぎし歳月の物語』や『イーゴリ遠征物語』には、民衆的口語要素が反映されている。古代ロシア文語はキエフ・ルーシにおいて成立し、その文語としての伝統は現代ロシア標準文語の基盤に連綿としてつながっている。13世紀前半のモンゴル・タタール軍の侵略とそれに続くポーランドリトアニアの侵攻が、キエフ・ルーシによる古代ロシアの民族的・国家的統一の崩壊をもたらし、また封建領土の細分化が方言分裂を促すにつれて、13~14世紀間に古代ロシアの単一性にも亀裂(きれつ)が生じた。北東部の大ロシア人、南部のウクライナ人、西部の白ロシア人という新しい三つの民族的根幹が形成されて、14~15世紀間に、それらの種族的統合体の基盤のうえに親近性を保ちながらも独立の言語である三つの東スラブ語――ロシア語、ウクライナ語、白ロシア語が形成された。モスクワ・ルーシ(モスクワ・ロシア)時代(14~17世紀)にロシア語は方言的に発達し、北部大ロシア方言と南部大ロシア方言の二つの基本的な方言領域が形成され、その中間方言としての中部大ロシア方言群のなかからモスクワ方言が発達して、主導的な役割を演じるようになった。モスクワ方言は当初は混成的な言語であったが、漸次言語体系を整えて規範的となり、モスクワ・ルーシにおいて公用語の役割を果たし、ロシアの国語の基礎となった。

 国語としてのロシア語の形成の時期は17、18世紀に属する。18世紀初頭には、ピョートル1世の文字改革を契機としてロシア語の標準文語化が方向づけられた。18世紀前半はロシアの急激な西欧化・近代化が始まった時代で、経済・文化の発達が近代的な標準文語の成立を要求した。中世以来宗教的文献において使用されてきたロシア教会スラブ語と、16世紀にモスクワ公国の興隆に伴って形成された「実務的」文章語の二通りの文語は、もはやそのままの姿では、新しい時代の精神を表現するにふさわしい形式ではなかった。18世紀後半には、フランス語がロシア語の語彙(ごい)や語法に強い影響を及ぼした。標準文語の規範の確立の道は、国語観を異にする知識人のさまざまな派の熾烈(しれつ)な闘争のなかで模索された。そのなかで、最初の体系的なロシア語文法を著し、作品の内容に応じて高・中・低の三文体を設定することを提案したロモノーソフの言語理論と実践が大きな役割を果たした。ロモノーソフ、トレジャコフスキー、フォンビージンデルジャービンラジーシチェフカラムジンなどの18世紀の文人が、19世紀前半のプーシキンの偉大な言語改革の下地を準備した。プーシキンの天才的な創造力は、ロシア民衆の口語・教会スラブ語・ヨーロッパ語法の多様な言語状況を単一的な体系に統合することに成功した。プーシキンに続く19、20世紀の作家・詩人たちが熱烈な国語愛をもってこの新文語を洗練し、西欧近代文語に劣らない、質の高い言語に育てあげた。

 20世紀も末に近づいた現在、現代ロシア標準文語は、その使用領域の拡大、人口の増加とともに、多民族国家の多様な民衆の生きた口語を消化し、また新しい社会環境との関連において語彙や表現法を豊富にする一方、統語法における簡潔化・明晰(めいせき)化への傾向を示している。

[栗原成郎]

ロシア文字

ロシア文字は、ビザンティン時代のギリシア古文書の大文字楷書(かいしょ)体に基づいて、9世紀末か10世紀初めにブルガリアにおいて考案されたキリル文字を取り入れたもので、ロシアには10世紀末にギリシア正教への改宗の際、古代教会スラブ語文献とともに伝来した。それ以来現代に至るまで、キリル文字はロシアにおいて約1000年の伝統をもつが、1708年にはピョートル1世の文字改正により、よけいな装飾的記号を除去して、ラテン文字に近い形に単純化され、近代的な印刷字母として合理化された。これは旧式な教会スラブ文字に対して「市民字母」とよばれた。1917年には正書法の改正が行われ、現行の33字母になった。

[栗原成郎]

ロシア語の特質

まず音声面からみると、母音および子音において、硬音と軟音の対立がみられる。母音は基本的な五つの硬母音a[a]・э[ε]・ы[ɨ]・o[o]・y[u]に対して、日本語のヤ行子音にあたる[j]を初頭音とするя[ja]・e[je]・и[ji]・ё[jo]・ю[ju]が軟母音として対応する。母音には、長母音・短母音の区別はないが、アクセントのある母音はやや長めに発音される。子音体系は硬子音と軟子音の二系列からなる。日本語のナ[na]とニャ[n′a]における子音[n]の調音を観察すると、ナの[n]に比べて、ニャの[n′]のときは、前舌面が歯裏から硬口蓋(こうがい)にかけて接触している。このように、前舌面が硬口蓋に向かって高まる傾向をもつ口蓋化音を軟音というが、ロシア語には[p′]・[b′]・[f′]・[v′]・[m′]・[t′]・[d′]・[s′]・[z′]・[n′]・[l′]・[r′]などの軟子音があって、それぞれ[′]のつかない硬子音と対立する。正書法のうえでは、軟子音は、原則として、硬子音の直後に軟音記号のbあるいは軟母音を書くことによって示される。アクセントは自由移動式アクセントで、その位置は決まっていない。アクセントのある母音は強く、長めに、はっきりと発音されるが、アクセントのない母音は弱化し、とくにアクセントのないoとaの発音は同じ音の[a]か[ə]になる。このように無アクセントのoをaと同じように発音するモスクワの「ア方言」が標準語の発音とされている。

 音連続についていえば、二つ以上の子音が連続するとき、かならず後続音が先行音に類似の調音を強制する逆行同化がおこる(例、водка [vótka]ウォトカ)。また、語末に有声子音はたたず、有声子音が書かれていても無声になる(例、Ленинград[l′in′ingrát]レニングラー)。

 次に文法面をみると、ロシア語は印欧語の古風な屈折語(総合的言語)の特徴を保持している。名詞類は曲用し、動詞は活用する。名詞・形容詞・代名詞は性・数・格に応じて語形変化する。名詞類の性には男・女・中性の区別があり、その区別は文法であって、語形変化の型を決定する役割をもつ。格は6格あり、主格книга(本)、生格книги(本)、与格книге(本)、対格книгу(本)、造格книгой(本)、前置格о книге(本について)のように、日本語のてにをはの機能に相当する文中における語と語との関係を表す要素が曲用によって示される。数は単数と複数の2種であり、双数は現代語では失われた。

 動詞は現在時称と未来時称において人称変化する。過去時称は古代ロシア語においてはアオリスト(無限定過去)・未完了・完了・大過去の4種が区別され、それぞれ活用形態をもっていたが、現代語では過去時称の動詞組織は簡素化され、完了分詞起源の-лに一元化されて本来の人称変化を失ったが、そのかわりに性のカテゴリー(単数で男性-л・女性-ла・中性-лоを区別)を新たにもつに至った。

 動詞の文法カテゴリーには人称(一・二・三人称)、時制(未来・現在・過去時称)、態(能動・受動態)、性(過去形のみ)、数(単・複数)、法(直説法・接続法・命令法)のほかに、スラブ語に特有のアスペクト(体)がある。アスペクトとは、動詞の表す過程(プロセス)のとらえ方の観点の相違が文法化されたものであり、完了体と不完了体の二つからなる。完了体は動詞の表す過程を始めと終わりのある全一的なものとしてとらえ、その過程が内的・質的限界に達していることを示し、不完了体はそのような意味特徴を表示しない。すべての動詞はアスペクトのカテゴリーをもち、完了体か不完了体かのいずれかである。動詞語彙の大部分はアスペクトの対(ペア)を組み、それらのアスペクト・ペアは、語彙的な意味は同一でありながら、アスペクトという文法的な意味において差異をもち、対立する。「発見する」という動詞語彙はоткрыть(完了体)とоткрывать(不完了体)という二つの語のペアからなる。アスペクトは時制と複合的な関係にあり、アスペクトの文法的な意味は、時制の体系のなかに置かれて、明瞭(めいりょう)化する。例、Колумб открыл Америку.(「コロンブスはアメリカを発見した」完了体、発見過程の完了)、Колумб открывал Америку.(「コロンブスはアメリカを発見しようとしていた」不完了体、発見過程の途上)。動詞からは四つの分詞(ロシア語文法の教科書では伝統的に形動詞とよばれる)、「読む」という動詞читать(不完了体)・прочитать(完了体)からは、能動現在分詞читающий「読んでいるところの」、能動過去分詞читавший「読んでいたところの」、прочитавший「読み終わったところの」、受動現在分詞читаемый「読まれるところの」、受動過去分詞прочитанный「読まれたところの」が造形され、これらの分詞は動詞と形容詞の機能を兼有し、語尾が形容詞と同じように変化する。

 これらの分詞の形成法は、ロシア語が古代教会スラブ語から受け継いだ貴重な財産の一つである。同系のスラブ語でも、能動分詞の形態を発達させなかったセルビア・クロアチア語では、ロシア語の能動現在分詞читающий「読んでいるところの」を一語では表現しえず、onaj koji čita(指示代名詞・関係代名詞・動詞)という構文をもってそれに対応させなければならない。分詞は、студент,который  читает книгу「本を読んでいる学生」という関係代名詞によって接続される従属節を伴う複文的構成をстудент читающий книгуと単文の一成分に緊縮させる機能をもち、それによってロシア語の文構造に弛(たる)みのなさと彫りの深さをもたらしている。

 ロシア語は、屈折語の特徴として、語尾の変化による多様な語形を備え、統語法においてそれらの語形の規則的な一致・対応が要求される点において厳格な論理性をもつが、他方においては、語順が比較的自由であり、さまざまなタイプの無人称(無主語)文を発達させている点で柔軟性と情緒的表現力をもつ。

 冠詞は存在しないが、語順がある程度まで冠詞的機能を代行する。すなわち、定冠詞的な限定性をもつ既知の事柄は文頭に、不定冠詞的な新しい事柄や未知の事柄は文末にたつ傾向が認められる。造語法についていえば、きわめて生産力のある接尾辞・接頭辞を備えているために、共通の語根からの派生語を豊富に産出することができる。とくに、数十種の指小辞派生用接尾辞により話者の主観的・情緒的な評価を表す愛称形・卑称形を派生する能力は、ロシア語が感情表現の豊かな言語であることを示している。例、книга「本」、книжка「小冊子」、книжечка「愛すべき本」、книжонка「駄本」。また、ちょうど日本語の補助動詞「~する」が漢語・外来語を自由に動詞化するように、ロシア語の接尾辞-ова-/-изова-/-ирова-/-изирова-тьは外来語起源の名詞・形容詞を旺盛(おうせい)に消化し、新しい動詞をつくることができる。例、интервьюировать「インタビューする」、пародировать「パロディー化する」。

 語彙についてみれば、ロシア語は20万語をはるかに超える膨大な語彙を包蔵しているが、標準文語では、使用語彙はよく整理されており、現在最大の国語辞典(ソ連邦科学アカデミー・ロシア語研究所編『現代ロシア標準語辞典』全17巻・1950~65)に登録されている語数は12万0480語である。そのうち外来語彙は10%程度である。ロシア語はラテン語よりもギリシア語の影響を強く受け、またチュルク系・モンゴル系の借用語彙も多く、西欧近代語にはみられないエキゾチックな雰囲気をもつ。

[栗原成郎]

『八杉貞利著『岩波ロシヤ語辞典』増訂版(1989・岩波書店)』『井桁貞敏編『コンサイス露和辞典』第4版(1977・三省堂)』『木村彰一他編『博友社ロシア語辞典』(1995・博友社)』『木村彰一著『ロシア文法の基礎改訂新版』(1992・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロシア語」の意味・わかりやすい解説

ロシア語
ロシアご
Russian language

ロシアの公用語であり,また旧ソ連の公用語として用いられ,今日も約2億人の話し手をもつ言語。近い関係にあるウクライナ語 (小ロシア語) やベラルーシ語 (白ロシア語) と区別するために大ロシア語と呼ぶことがある。スラブ語派に属し,ウクライナ語,ベラルーシ語とともに東スラブ語群をなす。 12世紀頃までは古期東スラブ語と呼ぶことのできる言語状態にあったが,13世紀にウクライナ語が分化し,16世紀頃にベラルーシ語が分れた。 11世紀の書簡類から当時の言語を知ることができるが,文章語として長い間用いられてきたのは教会スラブ語で,ロシア語の文章語が確立したのは 18世紀以後のことである。北,中,南の3方言に大別され,中部方言に属するモスクワ方言が標準語となっている。摩擦音・破擦音の多いこと,口蓋化音の系列と非口蓋化音との対立があることが音韻上の特色としてあげられ,名詞・形容詞が6つの格と2つの数に従って曲用すること,動詞に完了体と不完了体というアスペクトの対立があることなどが文法上の特色としてあげられる。ロシア文字を用いる。

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