灌頂院(読み)かんじよういん

日本歴史地名大系 「灌頂院」の解説

灌頂院
かんじよういん

[現在地名]川越市古谷本郷

荒川西岸の土手際に位置し、隣接して古尾谷ふるおや八幡神社がある。宝聚山灌頂院東漸とうぜん寺と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来。開山は襲義(一説には慈覚大師とも)と伝えるが草創年は不明。古尾谷庄の鎮守古尾谷八幡神社別当を務めた。永禄年間(一五五八―七〇)小田原北条氏の軍により放火され古尾谷八幡神社とともに焼失したという。天正五年(一五七七)古尾谷八幡神社が再建され遷宮が行われた際、別当は当院一九代猷山であった(古尾谷八幡神社蔵棟札)。同一九年徳川家康より古尾谷八幡神社の社領として五〇石が寄進されたが、朱印状は別当である当院が管理した。当院は上野国世良田長楽せらだちようらく(現群馬県尾島町)末寺であったが、当院もまた末寺・門徒寺合せて三九ヵ寺を有していた(正保四年「蓮花流灌頂院末寺連署証文」当院蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の灌頂院の言及

【東寺】より

…【上島 有】
[伽藍と文化財]
 たびたび天災や兵火にみまわれたため,創建当初の建築は残らず,すべて鎌倉時代以降の再建であるが,密教美術史上きわめて貴重な絵画,彫刻をはじめ,膨大な古文書類(東寺文書)も伝存している。 伽藍は九条通りに面して南大門(1601,重要文化財)を構え,北に一直線に金堂(1603,国宝),講堂(1491,重要文化財),食堂を並べ,南東に五重塔(1644,国宝),南西に灌頂院(1634,重要文化財)を配し,築地塀をめぐらせて東辺には慶賀門と東大門,北辺に北門(鎌倉時代,いずれも重要文化財),西辺に蓮華門(1191,国宝)の諸門を開ける。再建ではあるが,主要堂舎は奈良の諸大寺の伽藍配置を受け継いだ創建伽藍の旧位置を守っているとみられる。…

※「灌頂院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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