灘尾 弘吉
ナダオ ヒロキチ
- 肩書
- 元・衆院議長(自民党),元・文相,元・厚相
- 生年月日
- 明治32年12月21日
- 出生地
- 広島県佐伯郡大柿町
- 学歴
- 東京帝大法学部法律学科〔大正13年〕卒
- 経歴
- 大正13年内務省に入り、大分県知事、内務次官などを歴任。昭和27年以来衆院議員に12選。31〜32年(石橋内閣・第1次岸内閣)、33年(第2次岸内閣)、38〜39年(第2・3次池田内閣)、42〜43年(第2次佐藤改造内閣)と4度文相を務め、31年に始まる勤務評定実施、33年の道徳時間特設などの重要文教政策を実施した。36〜37年には厚相(第2次池田改造内閣)。54〜55年衆院議長。58年引退。
- 受賞
- 勲一等旭日大綬章〔昭和45年〕 勲一等旭日桐花大綬章〔昭和57年〕
- 没年月日
- 平成6年1月22日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
灘尾 弘吉
ナダオ ヒロキチ
昭和期の政治家 元・衆院議長(自民党);元・文相;元・厚相。
- 生年
- 明治32(1899)年12月21日
- 没年
- 平成6(1994)年1月22日
- 出生地
- 広島県佐伯郡大柿町
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部法律学科〔大正13年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等旭日大綬章〔昭和45年〕,勲一等旭日桐花大綬章〔昭和57年〕
- 経歴
- 大正13年内務省に入り、大分県知事、内務次官などを歴任。昭和27年以来衆院議員に12選。31〜32年(石橋内閣・第1次岸内閣)、33年(第2次岸内閣)、38〜39年(第2・3次池田内閣)、42〜43年(第2次佐藤改造内閣)と4度文相を務め、31年に始まる勤務評定実施、33年の道徳時間特設などの重要文教政策を実施した。36〜37年には厚相(第2次池田改造内閣)。54〜55年衆院議長。58年引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
灘尾弘吉
なだおひろきち
[生]1899.12.21. 広島
[没]1994.1.22. 東京
政治家。 1924年東京大学を卒業。内務省に入る。 45年に内務次官。 52年衆議院議員に当選,以来連続 12回当選。自由民主党内有数の文教通で4回文相をつとめ,日本教職員組合 (日教組) に対決的な文教政策を推進した。ほかに厚相,自民党総務会長をつとめた。 79年2月,保利茂の病気辞任のあとをうけて衆議院議長に就任。政界引退後は中央共同募金会会長,全国社会福祉協議会会長など,厚生省関係の会長職を歴任した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
灘尾弘吉 なだお-ひろきち
1899-1994 昭和時代の官僚,政治家。
明治32年12月21日生まれ。内務省にはいり,大分県知事などをへて,終戦時は内務次官。公職追放解除後の昭和27年衆議院議員となる(当選12回,自民党)。石橋内閣をはじめとして文相を6期つとめ,教員の勤務評定,道徳教育を実施。また厚相,党総務会長などを歴任。54年衆議院議長。平成6年1月22日死去。94歳。広島県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
灘尾 弘吉 (なだお ひろきち)
生年月日:1899年12月21日
昭和時代の政治家;官僚。衆議院議員
1994年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報