勤務評定、すなわち勤務成績の評定とは、一般的には会社や事業所において、所属職員の勤務状態をいろいろな方法で評定することをいう。その目的は、職員の人事管理の合理化または科学化にある。わが国では第二次世界大戦前は人事考課とよばれていたが、評定方法(内容)が客観性を欠くことが少なくなかった。勤務評定が人事管理の重要な手段として、方法にくふうが凝らされ、広範に普及するようになったのは戦後のことである。
公務員の勤務評定については、第二次世界大戦後、比較的早い時期に、国家公務員法(1947年10月21日公布)第72条および地方公務員法(1950年12月13日公布)第40条で、職員の執務について、任命権者(所轄庁の長)は定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた措置を講じなければならない旨の規定がなされ、また、教育公務員特例法(1949年1月12日公布)においても、その第12条で、大学の「学長、教員及び部局長の勤務成績の評定及び評定の結果に応じた措置は、大学管理機関が行う」ことが明記された(1999年改正の現行規定は、「大学管理機関が行う」の部分が、「学長にあっては評議会、教員及び部局長にあっては教授会会議に基づき学長、学部長以外の部局長にあっては学長が行う」と改められている)。しかし、公立小・中学校等の教員の勤務評定については、教育現場に根強い反発があったことも原因してなかなか実施できなかったが、1956年(昭和31)に至り愛媛県教育委員会が実施したのを皮切りに、徐々にではあるが実施する県が増加していった。
1956年6月、教育委員会法にかわって制定された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(6月30日公布)では、その第46条で県費負担教職員である市町村立の小・中学校等の教職員の勤務評定について、「都道府県委員会の計画の下に、市町村委員会が行うものとする」ことを規定した。同年11月、愛媛県教育委員会は、当時の県財政の悪化を解消するために、一部の教職員の定期昇給を延伸することとし、その資料に勤務評定を実施することを明らかにした。以後、各都道府県教職員組合、日本教職員組合等の猛烈な反対運動(勤評反対闘争、1957~59)にもかかわらず、勤務評定の実施県が徐々に増加し、現在では全国的に定着している。
現在行われている勤務評定の様式は、公立学校の場合、1957年12月に全国都道府県教育長協議会が申し合わせた勤務評定試案を基本型として、各地方公共団体の実情に照らして修正を加えたものによっている。県立学校の場合、校長に対する評定者は県教育長、校長以外の教職員に対する評定者は各学校の校長(調整者は教育長)である。市町村立学校の場合、校長に対する評定者は市町村教育長であり、校長以外の教職員に対する評定者は各学校の校長(調整者は教育長)である。勤務評定は、教育委員会規則や実施要領等により、詳細な基準と内容をもって行われている。
勤務評定は実施以来、半世紀を経過したが、この間、実施の是非をめぐり、いくつかの事件が発生し、「勤評裁判」として争われてきた。こうした事情もあって、勤務評定は形式的には定着しているものの、教職員の公正かつ科学的な人事管理の実現に十分寄与しえていないうらみがある。この点を改善するためには、評定項目をより客観的なものにするくふうを行うとともに、教職員の勤務意欲を高め、さらに職能発達を促すようなものにするにはどういう内容がふさわしいのか、さらに検討を重ねていくことが今後の課題であろう。この点で、1999年(平成11)に東京都教育委員会が打ち出した勤務評定制度は、今後わが国の勤務評定のあり方を模索する新たな試みとして注目すべき事例である。同制度は、1999年12月16日開催の東京都教育委員会において決定された(2000年4月1日施行)。正式名称は「東京都立学校教育職員の人事考課に関する規則」および「東京都区市町村立学校教育職員の人事考課に関する規則」である。これまでの「東京都立学校及び区立学校教育職員等の勤務成績の評定に関する規則」および「東京都市町村立学校教育職員等の勤務成績の評定に関する規則」を廃止し、新たな視点と内容の下で行われるこの人事考課の試みは、旧規則との対比でみると、次の五つの点で異なっている。
(1)対象となる教育職員本人の自己申告を導入したこと。
(2)評価期間を、年度単位に設定したこと。
(3)評価は、絶対評価と相対評価を併用することとしたこと。絶対評価は、教育職員の指導育成方策をみいだすために行い、相対評価は、評価結果を教育職員の給与や昇任等に反映させるために行う。
(4)絶対評価については、教頭を第一次評価者に位置づけ校長を第二次評価者としたこと。
(5)校長または教頭は、絶対評価を行うにあたって、主任から参考意見を求めることができるとしたこと。
[若井彌一]
『矢崎光美著『人事考課のはなし』(1982・日月出版)』▽『若井彌一著『勤務評定』(『要説教育行政・制度』所収・1978・金港堂出版)』▽『伊藤吉春著『勤評闘争二十年』(1977・音羽書房)』▽『佐藤全・坂本孝徳編『教員に求められる力量と評価』(1996・東洋館出版社)』
組織に対する成員の業務遂行成績や能力,態度を評価し,記録することをいう。主としてアメリカで,科学的人事管理の重要な一機能として,能率の促進と情実人事の排除を目的として採用されてきた。したがって人事管理の諸機能(たとえば,昇任,昇給,降任,降給)等に適用することによって,賞罰や待遇の不公平を除去するとともに,優秀な職員を抜てきして適材適所に配置することによって,職員の士気を高める点で重要な意義があるとされている。現行の公務員制度においては,〈一般職〉である限り,国家公務員法(72条)または地方公務員法(40条)に基づき勤務評定が行われることになっている(1952年4月〈人事院規則10の2〉が制定されてから実施)。この勤務評定は,戦前の人事考課と比較して,人物の評価を試みるというより職務との関連においてのみ職員をとらえようとする。そこで〈勤務実績〉と〈勤務成績〉の区別がなされている。勤務実績とは〈職員が割り当てられた職務と責任を遂行した実績〉をいう。勤務成績は,それと〈執務に関連して見られた職員の性格,能力および適性〉とを含めたものであり,より広い概念である。前者はその仕事をする場合の平均的基準に照らして評定される。しかし公務員の仕事を数学的な厳密さをもって測定することは困難である。さらに後者はより内面的・主観的であるから,客観的な評価はいっそう困難であろう。アメリカでも多年にわたり勤務成績を最も客観的に評価する評定票の考案が試みられてきたが,いずれも完全な客観化は困難であり,多少とも評定者の主観的評価が入りこむことが指摘されている。また,その実施過程で秘密主義が強い場合には,評定者と被評定者との間に疑心暗鬼の状態が生じ,かえって士気を阻害することになりやすい。教員の勤務評定をめぐって1958年ころから起こってきた勤評闘争は,教員の勤務を客観的合理性をもって判断することは不可能であるとして問題を提起したものである。
→勤評闘争
執筆者:君村 昌
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…1957年から58年にかけて,公選制から任命制に変わった教育委員会制度のもとで,教員にたいする勤務評定が強行されたのに対して,それが教職員の団結を破壊し,教育の権力統制を意図するものとして教職員組合を中心に全国的に激しく展開された反対闘争。1950年に制定された地方公務員法40条は,任命権者が職員の執務について定期的に評定を行い,その結果に応じた措置を講ずることを規定したが,教員については,勤務内容が特殊であり,その性質が勤務評定になじまないとされ,また評定の客観的基準の作成,科学的な研究や準備がなかったので,勤務評定は実施されていなかった。…
…官吏に対する勤務評定をいう。
[中国]
考も課も〈はかる〉の意で,考功ともいう。…
※「勤務評定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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