日本歴史地名大系 「烏江村」の解説 烏江村からすえむら 岐阜県:養老郡養老町烏江村[現在地名]養老町烏江島田(しまだ)村の東に位置し、牧田(まきだ)川と金草(かなくさ)川に挟まれた地で、烏江輪中を形成した。集落は牧田川堤沿いに立地し、九里半街道が同川沿いに通る。南東は金草川を挟んで栗笠(くりがさ)村。濃州三湊の一として栄え、慶長一三年(一六〇八)の松村可左衛門外二名連署状(吹原文書)に烏江湊とみえる。同五年関ヶ原の戦の時には石田三成方によって集落が焼払われたという(元禄六年「烏江問屋尋答書」大久保文書)。慶長郷帳に村名がみえ、高二五六石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領。正保郷帳では尾張藩領で田一五八石余・畑九一石余、野年貢二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by