烏江湊
からすえみなと
[現在地名]養老町烏江
揖斐川支流の牧田川と杭瀬川の合流地西に立地する。栗笠湊・舟付湊とともに濃州三湊といわれ、揖斐川三湊とも通称された。三湊は伊勢湾の荷を近江米原に運ぶ九里半街道の起点として重要な役割を果した。慶長一三年(一六〇八)の松村可左衛門外二名連署状(吹原文書)に烏江湊とみえ、往古からたびたび御用相勤めた由緒により、高須藩主徳永寿昌が烏江問屋に対し「問屋持舟諸荷物、番なしに積可申事」と定めている。同一四年の原田忠政・藤田民部連署状写(同文書)によると、豊臣秀吉の聚楽第(跡地は現京都市上京区)・伏見城(跡地は現京都市伏見区)の造営のとき用材などが当湊で陸揚げされたといい、その功績によりのち湊役が免除され、同文書でも湊役の永々相免が認められている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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