20世紀日本人名事典 「熊谷玄旦」の解説 熊谷 玄旦クマガイ ゲンタン 明治・大正期の内科学者 京都帝大福岡医科大学教授。 生年嘉永5年12月26日(1853年) 没年大正12(1923)年10月2日 出生地周防国岩国町(山口県) 学歴〔年〕東京大学医学部〔明治12年〕卒 学位〔年〕医学博士〔明治38年〕 経歴明治12年大学を卒業して福岡県立医学校(九州大学の前身)教諭兼付属病院院長として赴任する。31年福岡県技師となり、33年欧米を視察する。36年京都帝大福岡医科大学(のちの九州帝大医学部)教授に就任、内科学講座を担当。38年病気となり職を辞し、福岡市で開業した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊谷玄旦」の解説 熊谷玄旦 くまがい-げんたん 1853*-1923 明治-大正時代の内科学者。嘉永(かえい)5年12月26日生まれ。福岡県立医学校(九大の前身)教諭・付属病院長となり,明治33年欧米を視察。36年京都帝大福岡医科大学(のちの九州帝大医学部)教授。38年辞職,福岡市で開業した。大正12年10月2日死去。72歳。周防(すおう)(山口県)出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by