熊谷直孝(読み)クマガイ ナオタカ

20世紀日本人名事典 「熊谷直孝」の解説

熊谷 直孝
クマガイ ナオタカ

明治〜昭和期の造船技術者 海軍造船練習所教授。



生年
嘉永3年1月12日(1850年)

没年
昭和17(1942)年12月22日

出生地
江戸・麻布狸穴(東京都港区)

学歴〔年〕
横浜仏語伝習所

経歴
奥医師を務めた熊谷直房の長男として生まれる。医学館医学を修め、横浜仏語伝習所に学ぶ。明治4年横須賀造船所に入り、5年フランスに留学。7年帰国。造船大師、造船所編纂掛などを経て、海軍造船練習所教授を務めた。訳書に「小学農用化学」「写真新法」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「熊谷直孝」の解説

熊谷直孝

没年:明治8(1875.2.3)
生年:文化14.6.15(1817.7.28)
幕末維新期の商人。京都の香商鳩居堂7代目当主。香具屋久右衛門とも称す。字は公友,号は酔香。父直恭と共に早くから頼山陽らと親交があり,勤王派町人として知られた。勤王派公家とも交友があり,倒幕運動に資金的援助をした。豪胆な面もあり,資金を要求されたとき,店内の銭箱の中身を見ることなくそのまま与えたというエピソードを残している。慶応3(1867)年の鷲尾隆聚の高野山挙兵にもひそかに軍資金を渡し,岩倉具視の指示で大坂徳川方の状況をさぐるなどの役割も果たしている。維新期には新政府の資金調達に1500両を供出したとされる。明治初年に種痘所の有信堂を再建,また全国最初の小学校(上京第27校)を明治2(1869)年に開校させるなど京都大年寄として近代化に積極的な役割を果たした。墓は京都の大雲院(東山区)。

(森谷尅久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊谷直孝」の解説

熊谷直孝(1) くまがい-なおたか

1817-1875 幕末-明治時代の商人。
文化14年6月15日生まれ。熊谷蓮心の長男。京都の筆墨・香商鳩居堂(きゅうきょどう)の7代。勤王派とまじわり,慶応3年の鷲尾隆聚(わしのお-たかつむ)らの高野山挙兵に軍資金を提供。維新後,種痘普及や小学校設置などにつくした。明治8年2月3日死去。59歳。字(あざな)は公友。通称は久右衛門。号は酔香。

熊谷直孝(2) くまがい-なおたか

1850-1942 明治-昭和時代前期の造船技術者。
嘉永(かえい)3年1月12日生まれ。横浜仏語伝習所でまなぶ。明治4年横須賀造船所にはいり,翌5年フランスに留学。7年帰国し,造船所編纂掛などをへて海軍造船工練習所教授をつとめた。昭和17年12月22日死去。93歳。江戸出身。訳書に「小学農用化学」「写真新法」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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