日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊谷蓮心」の意味・わかりやすい解説
熊谷蓮心
くまがいれんしん
(1783―1859)
近世後期の社会事業家。名は直恭。京都の筆墨業を家業とする商家鳩居堂(きゅうきょどう)に生まれる。家業のかたわら救民の志をもって飢饉(ききん)対策、窮民医療などに精を出す。1836年(天保7)の大飢饉に至るまでに「麦飯のすすめ草」「飢饉用心書」「食物用心書」「飢饉せざる心得」などの一枚摺(ずり)を著しては頒布して飢饉対策を訴えていた。大飢饉になると賀茂川(かもがわ)三条に「お救い小屋」を立て窮民に施米(せまい)をし、医療を施した。1849年(嘉永2)からは有信堂で種痘を行った。1853年虎列剌(コレラ)大流行に際して「急病予防方」を頒布して医療にあたり、1859年(安政6)9月の同病流行中、自らも罹患(りかん)して没した。ほかにも小冊子の著書多数あり。
[奈倉哲三]