熊野田村(読み)くまのだむら

日本歴史地名大系 「熊野田村」の解説

熊野田村
くまのだむら

[現在地名]豊中市熊野くまの町一―四丁目・上野東うえのひがし一―三丁目・赤坂あかさか一丁目・東豊中ひがしとよなか町一―六丁目・新千里南しんせんりみなみ町一―三丁目・上野西うえのにし一丁目・夕日丘ゆうひがおか一―三丁目・西泉丘にしいずみがおか一―三丁目・緑丘みどりがおか二丁目・くりおか町・広田ひろた町・東泉丘ひがしいずみがおか一―四丁目・旭丘あさひがおか

現豊中市域の北東部千里丘陵中にあり、北西桜井さくらい谷諸村、西は桜塚さくらづか村、南は寺内てらうち村・長興寺ちようこうじ村、東は島下しましも上新田かみしんでん村、同郡下新田村(現吹田市)。村域は広大である。中世は春日社領垂水西たるみのにし牧に属し、応永八年(一四〇一)七月注進の春日社領垂水西牧田数帳(今西家文書)に「熊野田村拾町」とみえる。文禄三年(一五九四)の豊島郡熊能田村御検地帳(大阪大学蔵)では村高四二九石余、家数一三八、石盛は上々田一石二斗・上々畑以下下々々田・下々々畑まであるという劣悪な自然条件であった。


熊野田村
くまのだむら

[現在地名]酒田市熊野田

荻島おぎじま村の東にある。集落と北側の新井田にいだ川に挟まれた標高約四メートルの村南むらみなみに熊野田遺跡がある。昭和六二年(一九八七)から六三年にわたる三次の調査で板材列に囲まれた平安時代の集落跡が出土した。板材列は南辺約九八メートル、東辺約四五メートル、西辺約七八メートル、北辺六四メートルの不整方形で、内部に掘立柱建物・土壙・溝・河川跡があり、九世紀後半から一〇世紀前半の遺物が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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