日本歴史地名大系 「熱海郷」の解説
熱海郷
あたみごう
近世の熱海村を遺称とする中世の郷。建保元年(一二一三)一二月一八日、元は走湯山(伊豆山神社)の神領であった「阿多美郷」が仁田忠常によって押領され、忠常滅亡後北条泰時が拝領していたが、改めて当郷地頭職が伊豆山に寄進された(吾妻鏡)。北条氏の祖平直方の子に阿多見四郎禅師聖範がいるので(尊卑分脈)、熱海郷は北条氏の根本私領の一つとの説がある(静岡県史)。弘安五年(一二八二)二月一八日、忍性は熱海地蔵堂の鐘を造った(「鐘銘写」日本古鐘銘集成)。永仁五年(一二九七)三月二六日、北条氏は伊豆山領熱海郷における質券売買地の取戻しを禁止した(「北条得宗家奉行人奉書案」一条家蔵日吉記紙背文書)。鎌倉後期、熱海湯地支配権は日蓮宗日興門流にあった(→熱海温泉)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報