鎌倉初期の武士。新田とも書く。伊豆国の住人。源頼朝の伊豆挙兵以来,これに従って頼朝の信任を得る。1203年の北条時政と将軍源頼家の外戚比企能員(よしかず)の対立に際して,忠常は時政にくみしたが,時政による比企氏謀殺を憤った頼家は,和田義盛と忠常に時政追討を命じた。義盛はこれに応じず,時政に内通したが,忠常はあいまいな態度を示したため,疑われて時政に滅ぼされた。
執筆者:細川 涼一
《曾我物語》巻八〈富士野の狩場への事〉によって,頼朝の面前で猪に逆さまに乗ってしとめたという忠常の勇猛ぶりは知られているが,この猪は実は山神であり,そのたたりで忠常はいくほどもなく謀反の疑いをかけられ,討たれたとある。《曾我物語》成立の動機に,曾我の十郎,五郎の荒ぶる霊(たたり)を鎮める鎮魂の意図があることは明らかであるが,史実とは異なる忠常の死についてのこのような伝承も,《曾我物語》全体を通してうかがえる御霊(ごりよう)信仰との関係で改変されたものであろう。なお巻九〈十郎が打死の事〉には,工藤祐経を討ち取った十郎を,忠常が一騎打ちで討ち取るところが描かれている。これは《吾妻鏡》建久4年(1193)5月28日条にものる史実ではあるが,先の猪(山神)を葬ったのと併せて,十郎を討ち取ったのが忠常であることを考えると,忠常の不慮の死は,十郎のたたりの結果生じたものとして伝承世界の中で書き変えられたといえよう。室町末期の成立といわれる《富士の人穴》の草子には,将軍頼家の命を受けた新田(仁田)四郎忠綱(忠常)が,富士の御神体である浅間権現の案内で,穴中地獄にかたどられた富士の人穴を見て回るという構成になっている。〈穴中地獄の様子を語るな〉と権現からいわれながら,禁忌を破って頼家に語ったために忠綱は命を失う。忠綱という人物は,伝承世界の中では顕冥二界にまたがる媒介的な存在であり,したがって巫覡(ふげき)の徒に担われて流布したものであろう。
執筆者:岩崎 武夫
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(湯山学)
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