熱海村(読み)あたみむら

日本歴史地名大系 「熱海村」の解説

熱海村
あたみむら

[現在地名]熱海市春日町(かすがちよう)・田原本町(たわらほんちよう)・咲見町(さきみちよう)・東海岸町(ひがしかいがんちよう)・渚町(なぎさちよう)・銀座町(ぎんざちよう)・中央町(ちゆうおうちよう)・上宿町(かみじゆくちよう)・福道町(ふくみちちよう)・水口町(みなぐちちよう)・水口町二丁目・清水町(しみずちよう)・昭和町(しようわちよう)・和田町(わだちよう)・和田浜南町(わだはまみなみちよう)・桃山町(ももやまちよう)・林ガ丘町(はやしがおかちよう)・緑ガ丘町(みどりがおかちよう)・西山町(にしやまちよう)・梅園町(ばいえんちよう)・小嵐町(こあらしちよう)・紅葉ガ丘町(もみじがおかちよう)・桜町(さくらちよう)・梅花町(ばいかちよう)・桜木町(さくらぎちよう)・熱海

伊豆山(いずさん)村の南に位置し、東は相模湾に面する。中世は熱海郷(阿多美郷)・熱海と称した。地名の由来は一説には温泉が海から湧出し、海水が湯のように熱かったので熱海とよんだという(温泉名勝志)。江戸時代初めは幕府領、寛文三年(一六六三)相模小田原藩領、貞享三年(一六八六)再び幕府領となり幕末に至る(韮山町史)。慶長一一年(一六〇六)の水帳写(「熱海名主代々手控抜書」熱海市立図書館蔵)によると高六一三石余。元禄郷帳では高六四三石余。嘉永二年(一八四九)の地誌調書上帳(前掲手控抜書)によると田三七町六反余・畑一三町八反余、新田畑四町五反余、ほかに畑一町二反(寛永元年に三代将軍徳川家光の湯治宿御用に建てられた御殿跡)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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