熱田大宮司家(読み)あつただいぐうじけ

改訂新版 世界大百科事典 「熱田大宮司家」の意味・わかりやすい解説

熱田大宮司家 (あつただいぐうじけ)

名古屋市にある熱田神宮長官,大宮司職を世襲した家。古くは尾張氏がこの重職を占めていた。11世紀末,尾張員職が外孫藤原季範に当職を譲与したことから,以後は代々藤原氏の継承するところとなる。季範は京都の公家政権に接近したほか,一女を源義朝の正室となし,その女の生んだ源頼朝の鎌倉幕府開設にともない武家側にも親しい存在となった。季範の子範忠,範信,範雅の3流からはそれぞれに大宮司が輩出し,多くが京官をも兼ねて勢力を伸張した。範忠の流には大江氏から猶子が入ったため,一時は大江氏がこの職を占めたこともある。一族の子孫繁衍(はんえん)にともなって大宮司職をめぐる競望も激化したが,その中で範信の流れをくむ千秋氏(せんじゆううじ)の人々が代々この職に就き,大宮司家として定着した。江戸時代を経て千秋氏の世襲が続き,1884年華族令公布に際し千秋季隆は男爵に列せられた。
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世界大百科事典(旧版)内の熱田大宮司家の言及

【尾張国】より

…一方後白河院も尾張を分国とし,熱田大宮司一族をはじめ在地勢力の掌握と皇室領の増加をはかっている。1180年(治承4)の源頼朝の挙兵には山田重弘・河辺重直ら清和源氏重宗流,頼朝の外戚熱田大宮司家一族らが呼応して蜂起した。これに対し平氏勢につくものは在庁官人以下その数も多く,墨俣(すのまた)川の戦では源氏勢を圧倒したが,平氏の没落後は反平氏勢が勢いを挽回した。…

【千秋氏】より

…藤原南家熱田大宮司家の一流。11世紀末,藤原季範(すえのり)が外祖父尾張員職より熱田大宮司職を譲与されて以後,同職は尾張氏より藤原氏の世襲へと移行,季範の子範忠,範信,範雅の子孫がこれを継承した。…

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