朝日日本歴史人物事典 「片倉鶴陵」の解説
片倉鶴陵
生年:宝暦1(1751)
江戸後期の産科医。世界で最初に係蹄法による鼻茸離断法を実施した。字は深甫,通称は元周。鶴陵は号。相模国(神奈川県)津久井郡生まれ。幼少のとき医師片倉周意の養子となる。12歳ごろ江戸に出て幕府医官多紀元孝(玉池)の学僕となり,元孝の子元悳(藍渓)から漢方を学び,文を儒者井上金峨に学ぶ。25歳のとき白銀町で開業したが,3年後火災にあい本石町に転居。この年京都に遊学して賀川玄迪から産科を学ぶ。江戸に帰ってから再び開業するが,天明6(1786)年に再び火災にあい本銀町に転居。寛政6(1794)年鼻茸手術を創始したりして,名医の評判高く,50歳のとき江戸城大奥の難産に呼ばれ治療した。官位のない町医が江戸城に招かれて治療に当たるのは極めて異例の事である。また町医が『黴癘新書』『傷寒啓微』『保嬰須知』『青嚢瑣探』『静倹堂治験』など多くの著書を出版しているのも珍しい。49歳で刊行した『産科発蒙』にはオランダの産科図や,イギリスの産科書から採った産科鉗子の図を載せ,日本で初めて産科鉗子の使用法を紹介した。<参考文献>森末新『将軍と町医―相州片倉鶴陵伝』
(蔵方宏昌)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報