コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

賀川玄悦 かがわげんえつ

7件 の用語解説(賀川玄悦の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

賀川玄悦
かがわげんえつ

[生]元禄13(1700).彦根
[没]安永6(1777).9.14. 京都
江戸時代中期の産科医。字は子玄。主著『産論』。彦根藩士の庶子として生れ,母姓を継いだが早く両親を失い,中年に近く京に出てあん摩を業とした。隣家の婦人の難産にちょうちん柄の鉤を使って母子を助けてから,従来から行われていた薬石以外の助産法を考案するにいたり,創始した産科術を晩年に『産論』にまとめた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

かがわ‐げんえつ〔かがは‐〕【賀川玄悦】

[1700~1777]江戸中期の医師。近江(おうみ)の人。字(あざな)は子玄。本姓は三浦。鍼灸術(しんきゅうじゅつ)をよくしたが、難産を救ったことから助産術を独自に考案し、賀川流産科の祖となった。著「産論」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

賀川玄悦【かがわげんえつ】

江戸時代の産科医。字は子玄。本姓は三浦。彦根藩士の家に生まれたが,母の実家を継いで医術を学び,京都に出て鉗子分娩(かんしぶんべん)をはじめ助産術に多くの手技を創案,賀川流産科の祖となった。
→関連項目産科

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

賀川玄悦 かがわ-げんえつ

1700-1777 江戸時代中期の医師。
元禄(げんろく)13年生まれ。京都で鍼灸(しんきゅう)などを業とするかたわら,古医方をまなぶ。独自に開発した手術法で胎児をとりだし,難産の母体をすくった。明和5年阿波(あわ)徳島藩医となる。安永6年9月14日死去。78歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は三浦。名は別に光森。字(あざな)は子玄。著作に「子玄子産論」「産科図説」など。
【格言など】天地(あめつち)のめぐみにかなふわが道はつとめて人をすくひ給へや(辞世)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

かがわげんえつ【賀川玄悦】

1700‐77(元禄13‐安永6)
江戸中期の産科医。彦根の出身。本姓は三浦氏で母方の姓を継いだ。字は子玄。京都に出て一貫町に住み,古銅鉄器の古物商をしたり按摩鍼灸術で生計を立てながら,医学を修業した。その師承・学統は不明であるが,古医方派の医学を学んだものと思われる。薬物療法及ばない難産に鉄鉤を用いる手術療法を導入して母体を救い,1765年(明和2)66歳のとき,それまでの多くの妊婦についての長年にわたる臨床研究をふまえた独創的な自説を皆川淇園が文章化した《子玄子産論》(単に《産論》ともいわれる)を刊行して日本近代産科学の基礎をきずいた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

かがわげんえつ【賀川玄悦】

1700~1777) 江戸中期の産科医。近江彦根の人。字は子玄。産科に手術を取り入れ、独自の産科学(賀川流産科)を発展させた、近世産科の創始者。阿波侯の侍医。著「産論」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

賀川玄悦
かがわげんえつ
(1700―1777)

江戸中期の産科医。近江(おうみ)国(滋賀県)彦根(ひこね)の生まれ。字(あざな)は子玄。本姓は三浦といい、7歳のとき母方の姓を継いだ。ひそかに鍼灸(しんきゅう)術を学び、のち京都に出て、鍼灸、按摩(あんま)を業とするかたわら古医方を学んだ。たまたま一婦人の難産を鉄鉤(かぎ)を用いて救ったことから、助産のことは手術によらなければ全うすることができないと悟り、種々考案・工夫のすえ、ついに救護の術をいくつか案出し実施した。これによってその医名は大いにあがり、賀川流産科の名は一世を風靡(ふうび)したという。1766年(明和3)『産論』2巻を著し、産科に関する玄悦独自の見解を明らかにした。そこには前人が説かなかったところが多くみられる。1768年阿波(あわ)徳島藩蜂須賀(はちすか)氏に禄(ろく)100石で迎えられた。
 女婿の玄迪(げんてき)(1739―1779)は、玄悦の隠退後その業を継ぎ、父の『産論』に増補改訂を加えるなど、賀川流産科の基礎を確立するのに貢献した。[大鳥蘭三郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の賀川玄悦の言及

【医学】より

…その門人本間棗軒(1804‐76)は,四肢の切断や陰茎切断などの困難な手術にも成功している。京都の産科医賀川玄悦は,胎児が子宮内で頭を下にした背面倒首していることを日本で初めて記載し,また異常分娩を救うために,種々の有効な措置を工夫したことでも知られている。この賀川の業績は,シーボルトによってヨーロッパに紹介されたほど独創的なものであるが,すでに日本にも入っていた,イギリスのスメリーWilliam Smellie(1697‐1763)の産科書に類似の工夫があることから,これからヒントを得たとも考えられる。…

※「賀川玄悦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

賀川玄悦の関連キーワード僧萬庵牧菴葛鳥石奥劣斎熊斐産科医曽我蕭白笠家左簾(初代)呉浚明佐藤就正

今日のキーワード

ネコノミクス

猫が生み出す経済効果を指す造語。2012年に発足した安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」にちなみ、経済が低迷する中でも猫に関連するビジネスが盛況で、大きな経済効果をもたらしていることを表現したもの。...

続きを読む

コトバンク for iPhone