出版形式の一つで,B6判よりやや小型の判型(新書判)のシリーズをいう。新書判の寸法はJIS規格(日本工業規格)外なので一定しないが,173mm×106mmが標準である。新書という名称は,イギリスのペリカン・ブックス(ペンギン・ブックス)に範をとり,1938年に岩波書店が創刊した〈岩波新書〉に由来する。〈岩波新書〉は,〈岩波文庫〉をはじめとする文庫が,すでに古典としての声価を確立した作品を収録していたのに対し,斎藤茂吉《万葉秀歌》,三木清《哲学入門》,吉田洋一《零の発見》,吉川幸次郎・三好達治《新唐詩選》など,同時代に属する筆者による書下ろしを中心に,〈現代人の現代的教養〉を追求する,いわゆる教養書としての性格を備え,分量も手ごろで廉価なこともあって,学生,知識人を中心に安定した読者を獲得した。一方,第2次世界大戦後,経済成長に伴う読書人口の爆発的増大,マスプロ・マスセールを志向する出版の大衆化とともに,手軽で廉価な新書は,文庫とともに主要なシリーズ形式の出版物として,脚光を浴びることになった。54年,中央公論社がハードカバーの単行本として刊行していた伊藤整《女性に関する十二章》の廉価版を新書判で刊行,ベストセラー化したのを契機に,各社が新書を創刊し,いわゆる新書ブームをまき起こした。なかでも神吉晴夫が54年から手がけた光文社の〈カッパ・ブックス〉は,時流に投じた企画,平易に書き改められた文章,斬新な書名,宣伝費の大量投入による需要喚起によって,岩田一男《英語に強くなる本》,塩月弥栄子《冠婚葬祭入門》,多湖輝《頭の体操》,星野芳郎《マイ・カー》など,ハウツーもの,娯楽ものを中心に多数のベストセラーを続出させ,戦後出版史に一時代を画した。新書の流行にみられた低価格志向の出版傾向はその後いちだんと助長され,いわゆる〈軽薄短小〉を旨とする世相とあいまって文庫の分野へ波及し,各社の参入により激しい〈文庫合戦〉を展開している。
執筆者:川井 良介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その後また召し返され,文帝の子の梁王の太傅(たいふ)となったが,ほどなく梁王が落馬して死に,1年余ののち彼も33歳で死んだ。著述は58編あったといわれるが,現存の《新書》58編はそのままのものでなく,《漢書》賈誼伝や食貨志などの引用文が重要である。その政治思想は儒家の立場から中央集権の体制を作ろうとするもので,礼楽の整備とともに対匈奴・対諸侯の政策,勧農の経済策などを献策した雄編があり,文章の模範ともされた。…
※「新書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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