朝日日本歴史人物事典 「片岡七郎」の解説
片岡七郎
生年:嘉永6.12.14(1854.1.12)
明治期の海軍軍人。薩摩(鹿児島)藩士片岡喜藤太の次男。海軍兵学寮を卒業後,明治10(1877)年少尉に任官。22年から伏見宮博恭王,山階宮菊麿王に随行してドイツへ留学,砲術など最新の兵学を学び,それはのちに砲術練習所長として後進の育成に当たる素地となった。帰国後,巡洋艦「金剛」の艦長として日清戦争へ出征して威海衛,澎湖諸島の攻略に成功。36年12月の軍制改革により連合艦隊が誕生,第1から第3の3個艦隊編成となると,片岡は第3艦隊司令長官に任じられた。日露戦争(1904~05)では巡洋艦「厳島」を旗艦として,旅順艦隊の掃討や哨戒作業など地味だが重要な職務を堅実に果たし,日本海海戦では別働隊となり,東郷平八郎率いる主力艦隊との挟撃態勢を作り上げてロシアのバルチック艦隊を壊滅に追い込んだ。この功績により戦後男爵を授けられ,第1艦隊司令長官へ昇進,43年大将。
(山崎有恒)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報