片野庄(読み)かたののしよう

日本歴史地名大系 「片野庄」の解説

片野庄
かたののしよう

出石川上流にあったと推定され、「但馬考」は佐田さだ久畑くばた(久畑市場)うしろなか小坂こざこの五村を「片野庄と云」としている。讃岐国崇徳院御影堂(現香川県坂出市)領。建長八年(一二五六)九月二九日付の崇徳院御影堂領目録(華頂要略)に「但馬国片野庄」と記される。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「片野庄 三十九丁二反三百分」とみえ、「崇徳院御影堂領」「領家二位律師」と注記があり、また「不出注文之間、任古帳注進之」と記される。崇徳院御影堂は讃岐国白峰しろみね(現坂出市)御陵傍らにあり、建久二年(一一九一)朝廷によって建立されているが(「玉葉」同年閏一二月二二日条)、当庄が同領となった経緯は未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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