牛久保村(読み)うしくぼむら

日本歴史地名大系 「牛久保村」の解説

牛久保村
うしくぼむら

[現在地名]港北区牛久保町・すみれがおか

都筑つづき郡に属し、東は山田やまた村・大棚おおたな村、南も大棚村、西は荏田えだ村・石川いしかわ(現緑区)、北は橘樹たちばな有間ありま(現川崎市宮前区)に接する。南北に山を負う。矢倉沢やぐらさわ往還が有間村から入り大棚村へ通る。

寛永四年(一六二七)旗本久志本・安藤領と幕府直轄領の三給。田園簿では「牛窪村」と記され、田七〇石、畑四二石。文禄三年(一五九四)には田九町六反、畑一三町六反(横浜市史)。元和八年(一六二二)一一月の勝田村・牛久保村百姓高辻帳(県史八)では高持百姓九人、浄仙寺領六斗余とある。


牛久保村
うしくぼむら

[現在地名]豊川市牛久保町・光輝こうき町・弥生やよい

長山ながやま村の北に続き、伊那街道(飯田街道)に沿う。元禄一四年(一七〇一)成立の中神善九郎行忠著「牛久保密談記」(橋良文庫蔵)に「辰巳ハ豊川ノ浪静ニシテ星野ノ流ヲ堺トシ、戌亥ハ八幡ノヲヒワケヲ涯ル。丑寅ハ本宮山ヲ望ム。山下ヲ本宮ノ長山ト号ス。トコサブ下長山ニ続ク。其間ニ有ル原ナレバ本宮ノ原ト云ベキヲ、略シテ本野ガ原トヨブ」と記し、この地を「トコサブ」と称している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む